タイトル通り、プログラミング教育は、音楽科におけるリコーダーになれるのかどうか。そんなことをモヤモヤと考えていました。
リコーダーは役に立つか
先日、テレビ朝日の「題名のない音楽会」というテレビ番組でリコーダー特集がされていました。
リコーダーは、バッハも専用曲を作るような楽器だったそうですが、複数の音を同時に出せないなど表現の難しさがあり、廃れていったようです。
その後、演奏が簡単なことから学校教育に取り入れられました。今では小学校の音楽の授業で当たり前のように演奏される楽器になっていますよね。
リコーダーもピアニカなんかもそうですが、大人になってから演奏することはほとんどありません。もちろんそれらの楽器の一流のプロは存在しますが、音楽家の中でも一部の存在です。
「リコーダーが直接将来の役に立つか」というと、そうではない児童の方が圧倒的に多いのが現実です。
にも関わらず、音楽の授業でリコーダーを習うことについて、多くの方はそこまで疑問に持っていないと思います。記事を書いているわたしだってそうです。
それはきっと
安価で、演奏しやすく、メンテナンスも簡単な楽器の一つ
だということをなんとく理解しているからではないでしょうか。
役に立たないという学校教育批判
「将来になってから使わない知識を学ぶのは意味がない」
学校教育を批判する時にこういう主張をされる方がいます。
その際に批判されるのは、主に算数・数学・理科・英語などです。今年採択される教科書についての新聞報道でも同様の記事がありました。その中では「英語を学習しても、英語を使う職業につく割合が低い」という指摘がされていました。
そういう観点で言えば、音楽に限らず図工、美術、技術家庭といった教科はより役に立ちにくい分野です。しかし、これら教科がそこまで批判されることはありません。
その一番の要因は受験教科ではないからというものでしょう。ただ2番目以降の理由として点数では測れない価値を音楽、図工、美術、技術家庭に感じているからではないでしょうか。
それは言い換えれば「実用的かどうかではなく、子どもの感性を育てるのに良いのではないか」という共通の認識があるように思うのです。
直接役に立つ・役に立たないという評価ではなく、経験させることに意味があるという評価をしているわけです。
プログラミング教育も同じ
この経験させることに意味があるという価値観は、プログラミング教育でも同じはずです。
プログラミング教育への批判の一つとして、習った内容が社会人になった時には使われていない言語だというものがあります。
これには誤解があり、そもそも小学校でプログラミング言語自体を学ぶことはありません。
(厳密にはグラフィックレコーディングという形ですが…)
あくまで紙面上やアプリ上で、ブロックを並び替えるという内容が中心になります。こういう形式を通して、プログラミング的思考とプログラミングを学ぶのがプログラミング教育です。
「それ自体が直接役に立つかどうかではない」という部分ではリコーダーと共通する部分だと思います。
そういうわけでは「プログラミング教育はリコーダーになれるか」なんてことを考えていました。
プログラミング教育が、リコーダーのように楽しんで取り組まれる存在となるといいですよね。それでは、また。