今回は書評記事です。幻冬舎の社長、見城徹さんの「読書という荒野」(幻冬舎)を読みました。
わたしは村上龍さんが数ある作家さんの中でも一番好きで全作品読み、小説によっては単行本と文庫本の両方を購入して、何度も読んできました。
村上龍さんの「5分後の世界」の「あとがき」で見城さんのお名前が出てくるのが、わたしが見城徹という編集者の存在を知った最初の瞬間だと思います。
この「読書という荒野」は見城徹さんの読書歴、子ども時代からどんな本を読み、編集者としてどういった作家と関わっていったかを述べながら「読書」というもの作者なりの見解を示す内容です。
何を感じとるかが一番大事
本書は、冒頭の「はじめに」にある以下の言葉からスタートします。
『読書とは「何が書かれているか」ではなく「自分がどう感じるか」だ』
これはこのブログの書評のスタイルとも一緒で、非常に共感しました。
以前、こちらの記事でも「漫画・映画」の趣味から読んでみて欲しい小説のオススメを書きました。最後の方に「別に小説が苦手なら小説にこだわらず、漫画でも映画でも良い」という主旨の言葉を書いたのも「何を感じるか」が一番大事だと考えているからです。
ちきりんさんもツィッターかブログのどちらかで書籍の感想は、書籍の目次やあらすじを書くことではなく、それを読んで何を感じたのか、何を考えたのかを言語化すべきだと書いています。
この書評スタイルにしたのは、完全にちきりんさんの影響なのですが、やはりこういう読み方が読書の王道なのだと再確認しました。
ただそれをどう言語化すべきか、というと結構難しいですよね。
スゴイで片付けない感想の難しさ
わたしもこれにはいつも悩んでいます。
「スゴイ!」「感動した!」「泣けた!」みたいな表現をすることはとっても簡単です。でも「スゴイ!」って書いてしまったら、そこで思考がストップしてしまうんですよね。
(もちろん日常会話なら「スゴイ良かった」「めっちゃ泣けた!」という表現で十分だと思いますが…。)
ブログの読者が知りたいことも、そして、書いているわたし(本人)が知りたい、気付きたいことは「スゴイ!」と思った理由やそう感じた背景であるはずなんです。
実は、コレって人間関係も一緒だなと思うわけです。
「読書という荒野」では以下のような文章があります。
感想こそ人間関係の最初の一歩である。結局、相手と関係を切り結ぼうと思ったら、その人のやっている仕事に対して、感想を言わなければ駄目なのだ。(No.1030)
わたしは仕事柄、教育関係のいわゆる「偉い方」に面談してお話を聞く機会がありますし、熱心にご指導されている「現場の教員」と貴重な時間を頂いてお話を聞く機会もあります。
そこで教えてもらう「研究内容」や「日々の取り組み」はとても刺激的で、良い先生に会ったときほど「この先生の授業を受けることができる児童・生徒は幸せだなあ」と思います。
ただ、いつも困るのは面談中に感じた「スゴイ!」という気持ちを「スゴイ!」という言葉以外で伝えることです。
特に面談中に知る情報は、事前に本を読んだり、インターネットで事前に把握しておいたりすることの出来る内容ではないことがほとんど。なので、会話の中の即興で1秒以内に考えて伝えなければなりません。
しかも会社として「絶対に聞かなければならない情報」というものも存在します。
会話の自然な流れ(あの質問をして、その流れでここで突っ込んだ質問をしよう)みたいなことも同時並行で考えつつ、感想を言う必要があります。
だから面談を終えるとへとへとに疲れます。
そして、いつも大した感想を言えなかったと自己嫌悪します。ただそんなわたしも悪あがきだけはしっかり行います。
わたしがするのは、面談のお礼の手紙を送ることです。
手紙にお礼の言葉と共に「あなたは会話の中でこういうことを言いましたよね、それに対して、わたしはこういうことを感じ、考えたのです」ということを書くようにしています。
この方法ならじっくり考えてから書く事ができます。
具体的には手紙を書く前には必ず会話したことを文章に打ち直して、再度頭の中を整理します。そうすることでどの話が一番印象に残ったかを把握し直すことが出来ます。
そういったプロセスを経て「感じたこと、考えたこと」を率直に、けれど「スゴイ」などの言葉を使わずに表現します。
この時にわたしは内容についてあまり気にしないようにしています。
「こんな初歩的なことで感動したの?」と気にしだしたら何も書けないですからね。
むしろ「相手が何気なく言った一言の価値を気付かせるんだ」くらいの気持ちの方が、きっと読む人にも「こいつお礼状送ってきたんだ」以上の感想を抱いてくれそうじゃないですか。
もちろん受け取った方がわたしの手紙にどんな感想を持ったかなんて知りえないのですが、二度目に会った時に「わたしの手紙の感想」を面談最初に聞くこともあるので、それなりに気持ちが伝わっているのかな? と捉えています。
これはわたしの方法、本書で示されてる方法はというと。
読書体験は疑似体験
本書の中では繰り返し、読書は疑似体験だという主旨の言葉が出てきます。
豊富な読書体験を経なければ、武器となる言葉は獲得できない。人を動かすには、一にも二にも頭がちぎれるほど考えて、言葉を選択するしかないのだ。(No.1030)
つまり、読書経験が感想を言うための思考の素地になるということです。
わたしは学生時代、社会人になってからも基本的に小説を中心に読書をしてきました。この1、2年は逆にほとんど小説を読まなくなりビジネス書、実用書ばかり読んでいます。
実は、この1、2年、ビジネス書を読むと「どうして自分は小説ばかり読んでいたんだろう」「もっとこういう情報を早く知っておけば良かった」と過去を後悔していた時期がありました。
しかし、「読書という荒野」を読んで小説をたくさん読んできたのは間違いではなかったと思いました。
「プラハの墓地」(ウンベルト・エーコ)を読んでチンプンカンプンだったけど圧倒された経験や「天国でまた会おう」(ピエール・ルメートル)を読んで胸を締め付けられた経験も、学生時代、旅行中に風景を見るのも忘れて「風の歌を聞け」(村上春樹)を読みふけった経験もどれも貴重だったんだと思い返しました。
この「読書という荒野」はブックガイドの本でもあります。
見城徹さんがむさぼり読んだ小説、深く関わった作家が出てきます。まず何か本を読んでみたいという方はこの本を読んで、その中から面白しろそうだな、と思う本を読んでみるのも良いじゃないでしょうか。
まとめ
・感想をどう伝えるか
・その言葉を出すためには読書が必要
さて、わたしが次に読む本は「新・餓狼伝4巻」です。
4巻となっていますが「新」とつく前から合わせると17巻目。16巻目にあたる「3巻」の内容をほとんど忘れてしまっているので既刊をさらっと読み返すところから始めたいと思います。
じゃあ、また。