どうも、りょうさかさんです。
今回は絵本「空とぶライオン」(佐野洋子・講談社)のラストシーンについてです。
松岡茉優さんのインタスグラムの読み聞かせ動画で知った絵本なんですが、わたしも3才の娘も大好きで毎晩眠る前に読んでいます。
いつも読み終わると娘とラストシーンについて話し合うのですが、あなたはどう考えますか?
- 「空飛ぶライオン」のストーリー
- 「空とぶライオン」 を最初に読んだ感想
- りょうさかさんの考え①天才と凡人
- りょうさかさんの考え②天才を殺す凡人
- りょうさかさんの考え③作品は誰のために書くか
- 3才の娘の考え
- 「空とぶライオン」ラストシーンの意味は?天才を殺す凡人の話のまとめ
「空飛ぶライオン」のストーリー
未読の方のために簡単に「空飛ぶライオン」のストーリーをまとめると…
ライオンは、猫たちに御馳走をする毎日。
ライオンは「疲れた」と言っても冗談だと笑われて、また獲物を取りに空を飛びます。
疲れ切ったライオンは、ある日、寝たまま金色の石になってしまいます。
そのまま何十年、何百年経ちました。
ある時、仔猫が石のライオンに「きっと つかれたんだ」と声をかけたことをきっかけにライオンは目覚めます。
仔猫はライオンに「しまうまなんかとれる?」と聞き、ライオンは空に飛び立ちます。
「空とぶライオン」 を最初に読んだ感想
最初に「空とぶライオン」を読んだ感想は、残酷な絵本だというものです。
ストーリー紹介で書いたように頑張りすぎるライオンは、疲れても休ませてもらえず猫の無理解によって倒れてしまいます。
何十年、何百年経ってようやく仔猫という理解者が現れたのにその仔猫もまた自分を追い込んだ猫と同じように「シマウマをとってきて」とお願いするわけです。
わたしは、これを残酷だと感じたのです。
一方で、理解してくれる人が一人いるだけで頑張れる、そういう読み方もできると思います。
さて、絵本のラストシーンは「シマウマなんかとれる?」と言われたライオンが空に飛びあがります。
あなたはこのあとライオンはシマウマを取ってきたと思いますか?
りょうさかさんの考え①天才と凡人
結論から書くと、わたしは「自分のためにシマウマを獲る」と考えました。
そう考えた理由を説明するために、わたしがこの「空とぶライオン」をどう読んだか書いていきたいと思います。
わたしは、ライオンと猫を天才と凡人の関係だと読みました。
もっと具体的に言えば、ライオンは「天才作家」、猫は「ファン」、シマウマは「作品」の象徴のように読んだんです。
ライオンと猫は同じネコ科ですが、ライオンには生まれ持った「大きさ」「たてがみ」「牙・爪」があります。
つまり、この生まれ持った違いというものが「天才」であり、それがない「猫」は凡人だということです。
ライオンが「天才」と考える根拠は、もう一つあります。
それは、倒れた後に「金色の光る石」になってしまう点です。
「金色に光る石」は、ただの石ころではなく「黄金」という特別なものを意味します。
わたしは、これがあたかも死後作品を評価されたピカソのように思われたんです。
別の見方として「ライオンは他人の顔を窺って期待に応えすぎる存在の象徴」という方もいるかもしれませんが、わたしはそう思いません。
「他人の顔を窺って期待に応えすぎる存在」を描くのであれば、別にライオンではなく同じ猫で良いし、全く別の動物でも良いからです。
わざわざ猫とライオンという同じネコ科の動物を描く理由が、必ずあるはずです。
わたしは、その理由を天才と凡人の関係だと考えたんです。
りょうさかさんの考え②天才を殺す凡人
では、前述のように一匹のライオンが天才作家、何匹も登場する猫がファン、シマウマが作品だと考えた時に、物語はどう見えてくるでしょうか。
現実世界のわたし達と同じようにファン(猫)は、一握りの天才作家(ライオン)の作品(シマウマ)を楽しみ生きています。
しかし、わたし達はその天才のことを理解できません。(むしろ理解できないからこそ、天才は天才なのかもしれません)
凡人は天才を理解できないせいで、天才の「昼寝がしたい」というSOSのサインを見過ごします。
また見過ごすだけでなく、もっと作品(シマウマ)を持ってこい!
と要求します。
結果、天才は倒れて「なんじゅうねんも、なんびゃくねんも」経ちます。
つまり「空とぶライオン」は、天才を殺す凡人のお話しなんです。
りょうさかさんの考え③作品は誰のために書くか
さて、復活したライオンは、仔猫の言葉を聞いて再び空に飛びあがります。
飛びあがったライオンは、シマウマを獲ったのでしょうか?
この絵本の中では、ライオンは一人でいる時は、黄色い穏やかな色で描かれます。
一方で、猫のためにシマウマを獲りに行った後、ライオンの顔の右側は普通の黄色なのに、左側は真っ青に描かれ、その目は鋭く冷たい眼光を放ちます。
これは内面と外面の葛藤です。
つまり葛藤があるということは、心のどこかで猫のためにシマウマを獲りたいと思っていないんですよ。
これは先ほどの天才作家とファンの例になぞれば、読者が読みたいものと作者が書きたいものに乖離があるということです。
それが苦痛でライオンは休みたかったんです。
では、ラストシーンのライオンはどんな表情で、空に飛びあがったのか?
ライオンは、晴れやかな黄色い表情で描かれています。
つまり内面と外面が一致している。
ライオン(天才作家)は、自分のためにシマウマを獲る(作品を作る)とい風に描かれているんだと考えました。
3才の娘の考え
「空とぶライオン」を読み終えて、子どもに「このあとシマウマを獲ったと思う?」と尋ねると娘はこう答えます。
娘「ライオンはシマウマを獲ろうとするけれど、今度はシマウマに逃げられてしまう。ライオンはウマウマが食べれなくて、えーんって泣いて骨を拾って帰ってくる」」
わたし「どうしてシマウマに逃げられると思ったの?」
娘「だって、わたしシマウマ好きだもん!」
まるで「カウボーイビバップ」最終話でスパイクが「100万回生きた猫」について語る姿を見るようでしたw
「空とぶライオン」ラストシーンの意味は?天才を殺す凡人の話のまとめ
長々と色々書きましたが、絵本の読み方は様々です。
今回書いたことはあくまで「わたしがこう読んだ」というだけで、正しいも間違いもありません。
良かったらあなたも「空とぶライオン」についてお子さんと会話してみてはいかがでしょうか。
絵本の読み方についてはこんな記事も書いています⇒
それでは、また。