どうも、りょうさかさんです。
先日、「シン・エヴァ」を劇場で見てきました(3回目)
1回目の感想にも書きましたが、「シン・エヴァ」は見れば見る程、面白い映画だと思います。
1回目の感想はこちら⇒
今回は、わたしが「シン・エヴァ」を見て「ATフィールド」について考えたことをまとめておきたいと思います。
ネタバレを含みますので、ネタバレが嫌な方はここでストップ!
「破」と「Q以降」のATフィールド
ATフィールドは、作中でも「心の壁」とも表現されるバリアのことです。
新劇場版で、ATフィールドが「バリア」として効果を出すピークは、「破」の第10使途ゼルエルです。
「最強の拒絶タイプ」とも表現されたゼルエルのATフィールドは、ミサトさんに「エヴァ単機ではあのATフィールドは破れない」と言わしめるほど。
エヴァ零号機とビーストモード化した二号機でようやく破ることができる程、強固でした。
その後、覚醒した初号機がゼルエルのATフィールドを突き破ってからは敵味方ともにバリアとして活躍する機会は激減します。
「Q」になると冒頭から簡単にアンチATフィールドで二号機のATフィールド は破られますし、逆に敵のATフィールドもマリの狙撃で簡単に突き破ることができます。
「シン」の冒頭でも同様に銃撃で簡単にATフィールドを突き破って、敵のエヴァ44Aを撃破していきます。
特にこのシーンがわたしには印象的でした。
これまでパレットライフルなどの銃撃はバリアに弾かれるお飾りだったからです。
この「破」と「Q以降」の違いはなんでしょうか?
ナイフが象徴するもの
テレビ版のエヴァ(1995年)では、ストーリー後半までプログレッシブナイフが主戦力。
パレットライフルなどの銃撃は前述のようにお飾りでした(たまに活躍する回もありましたが)。
マンガ家の山田玲司先生がエヴァの武装についてこんな趣旨のことを言っています。
「エヴァの武器が、ナイフやカッターなのは『14歳の武器』だから」(詳しくは、下記動画の40:40辺りから)
確かに初号機が咆哮しながらプログレッシブナイフでシャムシエルを突き刺すシーンは、まさに「当時のキレる若者」を象徴しているようです。
しかし、「Q」以降、プログレッシブナイフが使われるシーンはありません。
兵器が象徴するもの
「破」と「Q以降」の大きな違いは、作中の時間が14年経ったという点です。
シンジを除くキャラクターたちは14年の歳月を経て、「大人」になっています。
エヴァの武器も「ナイフ」ではなく、「銃」「ナギナタ」「ファンネルもどき」「死神の鎌」などになります。
「14歳の武器」ではなく、まさに「兵器」に変わってしまったんです。
わたしにはこれが「大人になったらATフィールド(心の壁)なんてクソの役にも立たない」というメタファーに思えてくるんです。
もしくは14年前以上に「現在」(2021年)が心の壁なんてクソの役にも立たない時代だということなのかもしれません。
SNS上での誹謗中傷が昨今問題になっていますが、透明な人間が言葉の槍を投げつけてくる世界では、「ATフィールド」で守れるものなんて少なくなっているんですよね。
これってなかなか強烈だな、と思うわけです。
自分の怖れを自覚するためのATフィールド
そんな役立たずのATフィールドが「シン・エヴァ」において表現されるのは、攻撃の場面を除けば2つだけです。
- 13号機を怖れる新二号機
- シンジを怖れるゲンドウ
前者は、アスカが人をやめてまでATフィールドを無理矢理引き裂きます。
後者は、人をやめたはずのゲンドウが自分の中の人間性に気付くという演出でとても対照的です。
どちらのシーンもATフィールドが、「怖れ」という「SOSのサイン」としてのATフィールドが表現されます。
「心の壁」が14年の歳月を経て「自分を守るもの」ではなく、自分すら気付かなかった「SOSのサイン」に変化してしまったわけです。
と、こんなことを「シン・エヴァ」を見終わった後に考えました。
世の中にある「作品」と呼ばれるものは、意識的にも無意識的にも「作られた時代」の影響を受けると思います。
国語の授業でも「時代背景」を踏まえて物語文を読んだりしますが、漫画やアニメ、音楽も時代の何かを反映していると思って考えてみると面白いですよ。
それでは、また。