りょうさかさんと

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【書評】「大分断-教育がもたらす新たな階級化社会」政治家に学歴は必要か?


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どうも、りょうさかさんです。

「大分断-教育がもたらす新たな階級化社会」(エマニュエル・ドット/大野舞 役/PHP新書)を読みました。

タイトルから一瞬「出自による教育格差」を語った内容をかと思った方もいるかもしれませんが、本書の内容は「社会の階層化」について言及したものになっています。

今回は本書を読んで「政治家に学歴は必要か?」について考えてみました。

エマニュエル・トッドのいう階級化社会

エマニュエル・トッドは、フランスの歴史家、文化人類学者、人口学者です。

トッドは、「社会における教育の価値」が変わったと本書の冒頭で指摘します。

戦後の教育の発展は「民主主義の大きな前進の一つ」「上級階級の門戸が下層階級に対して開かれた」(本書p.25)いう見方だったと述べます。

しかし、現在では「高等教育は特権的な職業に就くための一種の資格」(本書p.25)になり、「学ぶ場というよりも、支配階級が自らの再生産を守るためのもの」(本書p.26)だと指摘します。

ハーバード大学は優秀な学生をとる一方で、高額の寄付金を支払って入学が可能な例を出し「エリートは能力主義でなく親の階級(資本力)によって、そこにいる」と述べます。

つまり「エリート」と「大衆」という層が社会階級ではなく、教育階級に変質し、それが顕著に出た例が2016年のトランプ大統領誕生、ブレグジットだと述べます。

と、ここまでは本書の1章のお話しです。

政治家はエリートであるべきか

ここから本書を読みながら、わたしが考えたことについてです。

わたしが考えたのは、エリート・大衆という階級が存在しているとして、政治家はエリートであるべきなのか? ということです。

お笑い芸人、グラビアアイドル、元スポーツ選手といった人達が出馬するたびに彼らの適正について賛否の声がでますよね。

また既に政治家として当選した方へも学歴を揶揄する言説というものは存在します。

例えば、10年以上前のことですが安倍晋三・前首相に対しては成蹊大学を卒業したことについて田中眞紀子さんが「低学歴と揶揄する発言」をされました。(参考)田中眞紀子 - Wikipedia

最近(2020年)だと、川勝平太静岡県知事が菅義偉首相に対して「教養のレベルが露見した」「単位を取るために大学を出られたんだと思います」と発言し、後日発言を撤回し、陳謝しています。

(参考)政治家に学問は必要か?歴代総理の学歴を見てみよう(歴史家・評論家 八幡和郎) | 日本最大の選挙・政治情報サイトの選挙ドットコム 「菅首相の教養レベル露見」発言 川勝静岡県知事が撤回、陳謝|あなたの静岡新聞

巷でも首相や政治家の学歴や経歴に揶揄するようなことは、これまでもあるのではないでしょうか。

実際、わたしの周りにも「あんな低学歴な政治家より、東大卒の研究者の言う方が正しいだろ」みたいな意見をいう方がいます。

確かに「国の命運がかかる政治家」に知性や教養を求める考えや心情は、理解できなくありません。

出馬に学歴は必要か

では、出馬の際に立候補者を学歴フィルターで切るべきなんでしょうか?

「旧帝大・早慶以外はそもそも立候補できない」

そんな法律があった方が良いと思いますか?

わたしの考えは、それは個々人が判断して投票行動で主張すれば良いというものです。

どうしてそういう考えなのかというと、立候補者に「学歴」などを”資格”として求めると「官僚」と「政治家」の違いが希薄になる上に、同じような人種が固定化されてしまうように思うからです。

トッドの言い方をするのなら、学歴フィルターを設けることは「政治」を支配階級(エリート)だけの特権にすることを認めるということになるからです。

トッドは、以下のように教育階級による「分断」を指摘します。

しかしながら、私たちが見落としていたのは社会全体が高等教育が受けるわけではないという点でした。上層部には大衆エリートが君臨し(およそ人口の3分の1)、自分たちの殻に閉じこもりました。それは似た者同士だけでいきていける程度の人口に達したからです。一方で初等教育レベルで教育課程から離れた人々もまた、自分のたちの殻に閉じこもりました。

(引用)「大分断-教育がもたらす新たな階級化社会」(エマニュエル・ドット/大野舞 役/PHP新書)p.43より

「学歴」という「教育階級」で政治家への道を指定しまうことは、「政治」と「大衆」の分断を進めてしまうことになります。 

それは「大衆」にとっても不利益だと考えます。

「そうはいっても、不見識な人間に政治家になってほしくない!」

こういう考えの方は、ご自身の投票行動で表現をすれば良いと思います。

結果、人気と知名度だけの人物が当選したとしても、それも民主主義の一つの側面に過ぎないでしょう。

サミュエル・スマイルズの「自助論」の中には、「政治は国民を映す鏡」といった趣旨の言葉が出てきます。

政治を「鏡」のままに残すためにも学歴フィルターは不要なのかもしれません。

そんなことを考えました。

それでは、また。