どうも、りょうさかさんです。
キンコン西野さんのYoutubeで「嫌いなタレント」が出るとチャンネルを変える理由がわからん? という動画をアップしていました。
今回はこの件について考えてみたいと思います。
「嫌いなタレント」が出ているとチャンネルを変える人-西野亮廣
西野さんの仮説
西野さんの考える「嫌いなタレント」が出ているとチャンネルを変える理由についてまとめておきましょう。
- 自分と考えの合わない人を勝手に嫌いになっている
- 嫌いな人が出ているから見たいテレビを見ないのは不幸
- わざわざ嫌いな人を作って自分の幸福度をさげている
- 嫌いな人に自分の人生の選択権を握られている
一番の趣旨は、わざわざ嫌いな人を作らなくても良いし、それをツィッターなどで世界に向けて公言しなくても良いよねというものです。
詳しくは、上のリンクの動画を見てくださいね。
基本的には、わたしも同じような考えで過去に似たような内容の記事も書いています。
ただちょっと違うかな? という部分もあるのでそこへのツッコミと別案を書いていきますね。
ラーメン屋の例えは違う
大枠の趣旨は上段で書いた通りなのですが、途中に出てくる例え話がツッコミポイントですね。(重箱の隅をつつくような感じですがw)
西野さんは、勝手に嫌いになったタレントが出ているという理由で、見たいテレビを見ないことをラーメン屋に例えます。
その例えはというと
「ラーメン屋でいえば、自分でラーメンに鼻くそをいれておいて、このラーメン鼻くそ入っているから食べたくないと言っているようなもの」
というものです。
コレ、オカシイよね?
だって鼻くそってみんな嫌いなものじゃないですか。(大好きな人が多数派ならごめん)
自分で勝手に嫌いになったものとイコールで結びつけるものじゃないんですよね。
「勝手に嫌いになったもの」の比喩なんだから、少なくとも好きでも嫌いでもない人が多数派なものが無難だと思うんですよね。
ラーメン屋で例えるのなら、「勝手に嫌いになったタレント」は「勝手に嫌いになった食材」かなと。
つまりキンコン西野さんの趣旨を正確にラーメン屋で例えるのなら…
「メニュー写真にはないのに、注文したラーメンに嫌いなほうれん草が入っていてラーメンを一口も食べずに帰った」みたいなケースだと思うんですよ。
で、「ほうれん草をよけて食べれば良いのに」とか「思い切ってほうれん草を食べていればさらにラーメンが美味しくなったり、嫌いなほうれん草を克服できたかもしれない」とかの言葉を繫げて、嫌いなものが多いと可能性を減らしたり経験値を増やさないよね、という流れでよかったような気がします。
嫌いなのはいい、思っとけ!
キンコン西野さんが主張したいもう一つの意図である「わざわざ世界に公言しなくても良い」も「嫌いなタレント」を「ラーメンのほうれん草」に置き換えるとわかりやすいですよ。
わざわざほうれん草の産地や収穫時期とか調べて「やべえ、ほうれん草の季節がきた」とかツイートしたり、「食卓からほうれん草を排除!」「ほうれん草がお弁当に入ってたから、まるまる残してやりました」とかツイートしているのと同じですからね。
ほうれん草に対して、悪口をツィッターで延々書いている人って相当ヤバイでしょw
コレと同じことなんよね。
嫌いなのはいい、思っとけ!
というわけで今後、キンコン西野さんにおかれましては「鼻くそ」ではなく「ほうれん草」でお例えいただくことをオススメいたしますw
まあ、たぶん西野さんはこういうのを全部わかった上で確信犯的にオカシイ例え話をしていると思います。
その方が心にひっかかるもん。
と、このままだと重箱の隅をつついただけで終わってしまうので、最後に西野さんの映画の宣伝を貼り付けて終わりたいと思います。
映画「えんとつ町のプペル」2020年12月25日公開! 楽しみですね。
それでは、また。