どうも、りょうさかさんです。
今回は「教育格差-階層・地域・学歴」(松岡亮二/筑摩書房)についてご紹介です。
教育行政に関わる方、教育に関わりたい方、教育に興味のある方にとって必読書と言っても過言ではないと思います。
そこにある「教育格差」
本書「教育格差」は、その名の通り国内の「教育格差」について幼児教育から高校までをデータに基づいて書かれています。
- 小学校入学前から学力差があり、それが小4、中1と影響していくこと。
- 住む地域によってそもそも学力差があること。
- なんとなく持っている「色んな人と関わり合う公立小学校」という認識が幻想であること。
- 「教育格差」はどの時代、どこの国にもあること。
そういう現実を叩きつけるような内容になっています。
わたし自身、教育関係の会社員として子どもや地域の格差を目の当たりにすることが多いです。
例えば、小学校の英語の授業は、2020年から小3から「外国語活動」、小5から「外国語」として授業で行われています。
しかし、2020年よりも何年も前から教育委員会の独自方針として小学校1年生から英語の授業をしている地域がありました。(私立ではなく、公立小学校の話です)
これはプログラミング教育についても同様です。
住む地域によって当たり前のように「教育」が大きく違うんです。
「居住移転の自由」があるとはいえ、収入や勤務場所の関係もあって現実は「不自由」ですよね。
仮に千代田区、中央区、港区が素晴らしい教育をしているからと聞いて、簡単に引っ越しが出来る人は、ほんの一握りですよね。
「義務教育なのに、収入が違うために受ける授業が大きく変わる。教育って平等じゃないんだな」
そう思った記憶があります。
「格差」の再生産に加担する自覚
わたしが「教育」について考える時に思い出すのは、村上龍さんの言葉です。
正確ではないと思いますが、こんな趣旨だったと記憶しています。
「”援助交際”や”引きこもり”についてテレビでは社会現象として論じる。しかし、親が本当に知りたいのは、自分の子どもが援助交際をしたり、引きこもりになった時にどう関わるかということではないか」
この影響もあって当ブログでは、教育を社会現象として論じることもありますが、出来るだけ「じゃあ、わたしやあなたはどうすれば良いの?」と書くようにしています。
時にはさらに踏み込んで、社会がこういう流れだから「こっちの方が得する可能性が高いと思いますよ」という提案まで書いてきました。
それは、前段で書いたように「義務教育なのに平等じゃないのはオカシイ」という思いもあったからです。
しかし、それは考えが少し甘かったようです。
筆者が「おわりに」でこのように述べます。
『私は教育格差を発信することで、格差の再生産を強化していることになるのだ。そう、私の両手も他者の血で赤く染まっている』(p.321より)
わたしがしていることもまた「格差の再生産」の背中をそっと押していることなんでしょうね。
この「教育格差」から学力上位層の子どもの両親が、どんな環境を整え、どんな関わりを重視し、どんな習い事をさせているか、そんなことを紹介することもできますが、あえて今回の記事ではしません。
今後のブログで紹介するかもしれませんが、気になる方はぜひ本書「教育格差」を手に取ってご覧ください。
それでは、また。
わたしが教育の格差について言及した記事はこちらをどうぞ。