りょうさかさんと

教育業界にいる陵坂さんが教育・子育て・DWEなどについて書くブログ

りょうさかさんと

ブーメラン報道を見るとどうしてガッカリするのか


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どうも、りょうさかさんです。

文通費100万円問題が色々報道されています。

当ブログは、教育ブログですから制度の是非を語るよりも「ブーメラン」について考えたいと思います。

ブーメランを恐れては変化が起こせない

文通費について「ブーメラン」報道がありました。

(参考)「ブーメラン刺さった」 吉村氏、文通費100万円受給で反省 - 産経ニュース

このブーメラン報道自体は、国民への情報提供ですから否定するつもりはありません。

そして、ブーメランに乗っかって国民が政治家を非難することも理解できます。

一方でブーメランが刺さった相手に対して「お前に言う資格はない」という指摘は適切なのか? という疑問があります。

今回の件に限らず、何か意見をいうときに「ブーメランに刺さる」というのは良くあるのではないでしょうか。

そんなときに「だからお前は言うな」といってしまえば、清廉潔白な人間にしか変化を起こすことができなくなってしまいます。

特に今回の文通費のように初日にポンと机上に100万円を置いて共犯関係に持ち込むようなやり口の場合、なかなか変化を起こすことは難しくなります。

わたしはビジネスの世界で「変わらないものは死者だけ」という言葉を聞いたことがあります。

全ての変化を無批判に肯定するわけではありませんが、変化がなければ緩やかに死に向かうのもまた事実でしょう。

まとめると提案や変革に慎重な姿勢は大切ですが、提案者・改革者に過度な清廉潔白さや完全さを求めてしまうと、そこにあるのは緩やかな死だけになってしまうということです。

こういった理由からブーメランを扱う言説には注意が必要だと思うのです。

ブーメランで参照点が変わる

そもそもブーメランが刺さったところで指摘された物事の評価は変わらないはずです。

しかし、実際の印象はどうでしょうか。

例えば、今回の文通費問題でいえば「日割り・領収書清算に変えようと言い出した政党が過去にしていなかった」としてもその政党は、他党(全額もらっていて・未清算)と横並びで同じになるだけです。

なのに「なーんだ、アイツらも一緒か」みたいなガッカリした気持ちになるのは、認知心理学の「参照点」が理由だと思います。

参照点とは、判断するときの基準となる点です。

例えば、定価100万円のロレックスが120万円なら「割高!!」と感じるでしょうし、セール中で80万円なら「お得!!」だと感じますよね

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これは定価が参照点になっているからです。

しかし、セール価格80万円のロレックスと定価5万円のアップルウォッチを比べるとどうでしょうか。

途端にお得感は消えてしまいますよね。

これは参照点の価格が5万円に変わってしまったからです。

わたしはこれと同じことがブーメランを受けた側にも当てはまるように感じるんです。

提案者が比べられるのは、提案時は既得権者です。

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しかし、ブーメランが返ってきたときに比べられるのは提案して上がったイメージになるんです。

つまりここで参照点がすり替わるんです。

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上がったイメージと比べられるので、なんだかブーメラン後は「なんだお前もか」とガッカリしてしまうのではないでしょうか。

もちろんブーメランの内容によっては従来よりイメージが下がってしまうケースもあるでしょうから、これがすべてだとは言いません。

ただこういうことを知っておくとブーメランを見かけたときに自分の気持ちを整理しやすくなると思いますよ。

それでは、また。