りょうさかさんと

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きかんしゃトーマス「いわのボルダー」の主役がトーマスではない理由


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あなたは「きかんしゃトーマス」の中でも異色のストーリー「いわのボルダー」をご存知でしょうか?

「ボルダー」はトーマスの中で唯一「岩」のキャラクターです。

機関車や車、ヘリコプターたちが登場する物語の中にどうして「岩」が出てくるのか?

今回は、この「いわのボルダー」という1話について考察します。

結論を先に書いておくと、これは災害と人の関係を描いている1話だからです。

「いわのボルダー」とは

「きかんしゃトーマス」はイギリスの幼児向け番組です。そのストーリーは、幼児向けということもあり、道徳的な内容になっています。

意地を張って周りに迷惑をかけてトップハム・ハット卿に怒られてしまったり、皆が嫌がるけれど大切な仕事をする機関車がトップハム・ハット卿に褒められたり…というような内容です。

しかし、今回取り上げる「いわのボルダー」にそういうわかりやすい道徳的なものはありません。

以下に「あらすじ」を書きます。ご存知の方は飛ばしてください。

「いわのボルダー」のあらすじ

シーズン5 26話(1998年制作・シーズン最終話)。

前述のように「ボルダー」とは、ソドー島の砕石場の高い山の頂にある丸い岩のことです。

ある日、その採石場に「サンパー」という岩を掘り出す新しい機械が持ち込まれます。サンパーによって作業効率は向上。

しかし、ある日、作業の影響か「ボルダー」が山の頂から落ちてくるのです。

ボルダーは山道と線路の上を転がります。その場にいた機関車の「ラスティ」「スカーロイ」「レニアス」たちは逃げまどいます。なんとか全員逃げ切りることが出来ますが、ボルダーは線路上を転がり続けます。

その先にあるのは操車場。一人残っていた「パーシー」の真横を通り過ぎ、ボルダーは操車場に突っ込みます。操車場は大破し、爆発してしまいました。

トップハム・ハット卿は鉱山を作ったことを後悔し、閉鎖を決定します。ボルダーは操車場近くの丘の上に移されて物語は終わります。

詳しいストーリーが知りたい方は、こちらのブログで丁寧にまとめられているのでどうぞ⇒

いわのボルダーが他の話と違うところ

さて、「いわのボルダー」のストーリーを確認したところで、ボルダーの話のどこが他の話と違い、考察すべきポイントなのか述べていきましょう。

まずこの話の変わった点は、いわゆる従来の「道徳的なお話」とは少し違う点です。

ボルダーが落ちてきて結果、操車場が大破するわけですが、 どの機関車がイタズラをしたとか、そういう因果関係は存在しないわけです。

しいて言えば、トップハム・ハット卿が新しい採石場を作り、サンパーを持ち込んだくらいでしょうか。

それに関してもサンパーや登場人物は真面目に仕事をしただけです。

善悪の因果関係は、作中で明示されません。

またサンパーは顔があるもののセリフは一切なく、黒子に徹しています。

次に他の話と違う点は、トーマスがほとんど登場しない点です。

冒頭、ラスティに話しかける1シーンがあるだけです。

これまでの話でもトーマスが主役ではない話、登場しない話はありました。

しかし、その理由は前述のように道徳的な要素があるからです。

道徳を扱う際にそれらすべてをトーマス一人で背負うことはできないですよね。

しかし、今回に限って見れば、転がる岩から逃げるだけのお話です。

インディ・ジョーンズが罠から逃げるようにトーマスが逃げる役目を担ってもおかしくないはずです。

しかし、そうはなりません。

最後のポイントは、ボルダーをもう一度丘の上に置くという終わり方です。

山の頂にあったから転がり落ちてきたわけです。

ボルダーを破壊しちゃえば二度と同じ事故はおきませんよね。

破壊しなくても平地に置けば良いのに、わざわざ丘の上に置いてしまいます。

もう一度転がってこいと言わんばかり。どうしてなのでしょうか?

ボルダーとは、自然に無力な大人の話

整理すると以下の3点が注目すべきポイントになります。

  • 道徳的なお話とは違う。
  • トーマスがメインの話ではない。
  • 最後にボルダーを丘の上に置く。

これらを考える上で、ヒントがwikiにありました。

第3シリーズ及び第4シリーズの件もあって原作者の意向を重く受け止めたブリットは、第5シリーズの制作には鉄道関係者をアドバイザーに招き、実在の鉄道で実際に起こったことなどを脚本に反映する制作体制を執った。しかし、実際にはありえない突飛な演出やシナリオが極力抑えられていた第4シリーズ以前とは異なり、第5シリーズでは爆発や大掛かりな事故シーンなどスペクタクルシーンが増え、従来のシリーズとは異なる様相を呈した。(注・太字は引用者によるもの)

(引用)きかんしゃトーマス - Wikipedia

まず注目すべき点は、シーズン5が「実在の鉄道で実際に起こった話」を反映する方針を取り入れている点です。

この「いわのボルダー」のようなことが実際に起こったのかどうかわかりません。

しかし、実際に起こっていたとしたら、災害ですよね。 

つまり「いわのボルダー」は、道徳ではなく災害がテーマになっているわけです。

そして、災害の象徴がボルダーなんです。

この解釈は同時に3点目の疑問を解消してくれます。

ボルダーを破壊するということは、災害をこの世から消すということになります。

しかし、実際に全ての災害を人間が消すことはできません。

出来るとすれば、被害が出来るだけ小さくなるようにコントロールすることだけです。

それを示すようにボルダーは、最初の山よりも低い丘の上に置かれます。

次に、ボルダーが災害の象徴として描かれているとすれば、他の登場人物である「きかんしゃ」 や「トップハム・ハット卿」は何を象徴しているのでしょうか。

前述のように「きかんしゃトーマス」は、道徳的な話です。「きかんしゃ」たちのいざこざは、まさに視聴者である子どもと同じ精神年齢です。

つまり「きかんしゃ」は子どもを象徴しているといえるでしょう。

そして、彼ら「きかんしゃ」を怒ったり、褒めたりする「トップハム・ハット卿」は大人を象徴しているといえます。

どうしてメインがトーマスではないのか

しかし、ここで2つ目の疑問にぶち当たります。

「きかんしゃ」が子どもを象徴しているのであれば、どうしてトーマスがメインではないのか? という点です。 

わたしの考えでは、それはトーマスが主人公だからというものです。 

主人公とは、物語の中で最も焦点の当たるキャラクターです

。主人公である彼・彼女の行動や成長する姿を見て、わたしたち視聴者(観測者)は、時に主人公に自分を投影し、喜怒哀楽を感じたり、勇気や教訓を教えてもらいます。

また物語的な特徴として主人公は、特別です。

死ぬことはなく(作品によっては例外はありますが)、本質的に他のキャラクターを超越した存在です。

前述のように、この「いわのボルダー」で製作者が描きたかったものは「災害」だと考えます。

もし主人公であるトーマスが岩から逃げる役目であれば、これを見る子どもたちの印象はどう変わったでしょうか。

おそらくボルダーは災害ではなく、インディ・ジョーンズの罠など出てくる『危険だけれど、絶対に主人公は死なない「しかけ」』くらいの位置付けに代わってしまうのではないでしょうか。

それは、災害が起きても自分だけは大丈夫という誤ったメッセージを送りかねません。

誤ったメッセージを子どもが感じとってしまわない為にも、逃げるのは「ラスティ」「スカーロイ」「レニアス」であり、たまたま操車場に残っていたのは「パーシー」なのです。

彼らは主人公ではない死にうるキャラクターであり、運良く助かったにすぎないのです。

まとめ

「いわのボルダー」というお話を整理しましょう。

  • 「ボルダー」は災害を象徴している。
  • 「きかんしゃ」は子ども、「トップハム・ハット卿」は大人を象徴している。
  • 災害をなくすことはできない。コントロールしようとするだけ。

この物語は、「災害」の前に「大人」も「子ども」も無力であり、そこに絶対的な「主人公」は存在しない。

また全ての「災害」を二度と起こらないようにすることはできない。人が出来るのは被害を小さくしようとコントロールするだけ。

このエピソードはそういうメッセージを子ども達に伝えてくれているのではないでしょうか。

(余談)本文では「災害」としましたが、これを「天災」「人災」と捉えるかについては議論の余地がありそうです。議論してくれる人がいるのかわかりませんが…w

今もなお愛され続けているボルダー

たった一話だけ。しかもシーズン5という人形時代のお話にも関わらず、ボルダーは今尚、愛されています。

その証拠にこちらをご覧ください。

たった一つのエピソードをもとに「プラレール」「カプセルプラレール」「トミカ」において玩具が販売されています。

着目してもらいたいのは、どの商品も作品内容とは違ってボルダーから逃げる役目を主人公である「トーマス」に変更されている点です。

「子どもの玩具」としてなら、インディ・ジョーンズ的に逃げる遊びになるわけですから主人公であるトーマスが適任でしょう。

今尚、愛され続けているボルダー。

ぜひ、この機会にあなたも「いわのボルダー」を見て考えてみませんか。それでは、また。