りょうさかさんと

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【書評】「0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書」


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今回は「0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書」(著・落合陽一)についての書評です。

落合陽一さんだし、この長いタイトルには何か意味があるのかな? と早速考えさせられてしまいます。もうこの時点で、落合さんの手のひらの上ですね。

落合陽一さんとは

落合陽一さんのお名前はご存知でも、何をしているのかピンとこない方も多いはず。そこで略歴を書きだしてみましょう。

1987年生まれ。メディアアーティスト。筑波大学准教授、筑波大学学長補佐、筑波大学デジタルネイチャー推進戦略研究基盤代表、Pixie Dust Technologies.inc CEO、大阪芸術大学客員教授、デジタルハリウッド大学客員教授、オンラインサロン落合陽一塾主宰。

(引用)本書表紙折り返しより

はい、やっぱりピンときません。で、わたしもどう落合陽一さんを自分の言葉で表現したら良いのか言葉にならないんですよね。

いや、具体的にコレコレな研究をしている方でみたいなご紹介だったら出来ると思います。

でも、それってどこかで見てきた経歴・他人の言葉を借りているだけなんです。

もちろんこのブログを見た人でご存知なかった方は、まず「芸術とテクノロジーの専門のスゴイ人」っていう認識で良いと思います。

でも「スゴイ」って便利な言葉を安易に使うんじゃなくて、自分の言葉で何がスゴイのか話したいんです。

というのも、本書「0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書」には、間違っても良いから自分の言葉で考えて話そうよっていう主旨の言葉があるからです。

ちなみに落合陽一さんの公式サイトはこちら⇒

Yoichi Ochiai Portfolio

本書の内容

それでは本書の簡単な内容紹介です。

「0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書」は、3章構成となっています。

「なぜ学ぶのか」「どう学んできたのか」「今後大事な力は何か」という3点が各章に振り分けられていると言えるでしょう。

1章は、Q&A方式でどうして「幼児教育から生涯教育」まで「なぜ学ぶのか」という話。

2章は、落合陽一さんがどんな教育を選択し、どういう小中高大学時代を過ごし、現在に至るまでに「どう学んできたのか」というお話。

3章は、STEAM教育を「言語」「物理」「数学」「アート」に分けて「今後大事な力は何か」について落合さんの考えが述べられます。

どのテーマも深く掘り下げることが可能な内容なんですが、とてもわかりやすく、そして端的に書かれているので読みやすいと思いますよ。

印象に残ったところ

ここからは印象に残ったところをご紹介。大きく印象に残ったのは「大学入試改革について」「祖父とのやりとり」「STEAM教育における芸術鑑賞の意味」の3点です。

大学入試改革について

こちらについてはペーパーテストの必要性そのものを含めて言及されています。特に現状の大学入試では満遍なくできることが評価されますよね。

本文ではこんな感じ

人類全体にとって本当に役に立つ人は、国語、算数、理科、社会の4教科ですべて100点を取れるタイプよりも、3教科では1点しか取れないけれど、1教科だけは100万点を取れる能力があるタイプではないかと僕は思っています。

(引用)「0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書」 p.44より

とても極端な例え話ですが、説得力はあります。

確かに全教科100点の人がイノベーションを起こすような発明をするイメージはありません。どちらかというと官僚的な感じがしますよね。

一方で、猛烈に一つの分野を突き詰めたような人材、ある種の天才が大学入試では評価からこぼれてしまう可能性がある。

これで良いのか? という問題提起ですね。

またペーパーテストの利点は収入格差が出にくい反面、面接などの総合評価は、家庭の収入格差が出てしまう点も指摘しています。

そりゃ、お金持ちの家庭の方が、子どもに数多くの経験をさせることができますよね。そんな稀有な経験と「部活動を頑張りました」だとどちらが面接官の心に響くのか。

この内容に続いて出てくる表現は「入試は機会は均等でも評価はアンフェアなことも」(p.47より)というもの。

このように「満遍なくできる人」「一つの分野に長けた人」など多様な人材を受け入れるために、海外の大学(ハーバード大学、スタンフォード大学、ケンブリッジ大学)などは入学の入口をを増やすことで多様性を担保しています。

今の教育界の動きも同様で、落合さんが指摘したことを背景にして色々な取り組みが模索されています。

従来の面接入試に加えて、AO入試の割合を3割まで増やそうという方針を出したり、Japan e-Portfolioに代表されるような「学びの足跡」を評価しようという方向性など入学の入口を増やそうとしています。

満遍なくできる人も一つの分野に特化した人も均等に機会が与えられるような方法があってもいいんじゃないか。そういう風に動き出しているはずです。

なのに、ペーパーテスト至上主義の人達の誤解によってAO入試やポートフォリオが批判されると『ああ、これが「天才を殺す凡人」なんだなあ』と考えさせられてしまいます。

祖父とのやりとり 

これは2章に出てくるシーンなのですが、落合陽一さんは8歳でパソコンを購入してもらったそうです。

落合さんの家には、自分の欲しいものはきちんと理由をプレゼンし、認められれば買ってもらえるというルールがあったそうです。

(参考)「0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書」 p.122より

一人の親として「このルール良いなあ」って思いました。自分の考えや理由をちゃんと伝えることを練習するのに、身近な親の存在を使わない手はないですよね。

幸い我が家は、私も妻も自分の欲しいものを購入する時に「こういう理由で欲しいだけど良いかな?」と確認し合うのが当たり前になっています。

子どもにも同じように、理由を話してもらえるように関わっていきたいなと感じました。

STEAM教育における芸術鑑賞の意味

この内容については以前書いた落合陽一さんの記事に関する感想とほとんど同じ内容です。以前の記事はこちら⇒ 

本書には「アート鑑賞は知識の披露ではない」(p.181)という言葉があります。

誰かから受け売りの背景を語るのではなく、自分が感じたことを自由に語るのがアート鑑賞だという意味です。

また自分の言葉と言っても「綺麗だなー」で終わらすのではなく、どうしてそう思ったのか、どうしてこの色合いや構図にしたんだろう、など疑問を持ち、それに対して自分なりの考えを語るのが大切です。

「絵を観るのに”正解””不正解”はない。」(p.186)

わたしも子どもと絵について語りたい、家に一つくらいコピーで良いから本当に自分が気に入った、世間の評価とかを気にしないで選んだ絵を飾りたい。

そんな風に思いました。

まとめ

では、いつものように「メモの魔力」的抽象化をしたいと思います。

事実…タイトルが長い! 41文字もある。

抽象化…些細なことでも過剰にすることで印象に残る

転用…ブログであれば、人が凝らないところに凝ってみる

それでは、また。