どうも陵坂です。つるの剛士さんが以前、虎ノ門ニュースに出演された際に小学校で経験されたた「高槻方式」についてお話をされていました。
「高槻方式」とは、私立中学校には行かせずに地元の公立中学校に行くように指導することです。他にもつるのさんのお話があったんですが、わたしも共通して経験したのがタイトルにある「国歌 君が代」を習わないことでした。
「国歌」の上のに「校歌」を貼る
わたしは関西地方出身です。
小学校の時、年度最初の音楽の授業では必ず校歌が印刷されたプリントが配られました。それをハサミで切り、教科書の最終ページにある「国歌 君が代」の上に貼ってから、授業が始まります。
校歌はどの学年でも歌うので、特段不思議だと思うこともありませんでした。子どもですから「教科書にあっても歌わない歌があるんだな」くらいにしか感じなかったんだと思います。
当然、小学校では「君が代」を歌った記憶はありません。わたしは転校の経験がないので、当時の小学校の学校行事で国歌を歌うことが当たり前なのかどうかもわかりませんでした。
卒業式の国歌斉唱で教員が起立しなかったというニュースで見て、初めて卒業式で国歌を歌うことが一般的だと知りました。
国歌を意識することになった日韓ワールドカップ
習わなかったとはいえ、国歌を知らなかったわけではありません。オリンピック、サッカーワールドカップなどのスポーツ競技では試合開始前や表彰台に上がると国歌が流れます。
ただそういうイベントの時に聞くだけなので、歌詞を見ずに歌うことが出来ませんでした。
わたしが国歌を意識したのは2002年の日韓ワールドカップの頃です。父親が苦労して開幕直前の親善試合のチケットを入手してくれました。
日本代表VSホンジュラス代表だったと思います。神戸ウイングスタジアムへ見に行きました。日本代表の試合をスタジアムで見たのは今でもあれが最初で最後です。
この時のことは印象に残っています。実は父と喧嘩してしまったからです。
それは試合開始前の国歌斉唱の時でした。父が大声で国歌を歌いだしたんです。わたしは猛烈に恥ずかしくなって「やめてよ」と言いました。父は「国歌を歌うのは当たり前だろ」と怒りました。温厚な父が怒ったことにびっくりし、また恥ずかしくなって喧嘩になってしまいました。
今、思うと苦労してチケットを取ってくれた父にとっても申し訳ない話です。
父が大声で国歌を歌う姿が、とても恥ずかしく感じられた理由がどうしてなのか未だによくわかりません。
今と違い、当時はスタジアムの観客が国歌を歌う人は少なかった記憶があります。(少なくとも自分の席の周りは誰も歌ってなかったと思います)
だから父だけが歌っていることが恥ずかしかったのかもしれません。
靖国神社に参拝
そんなわたしも今は「国歌 君が代」を歌えるし、終戦記念日前後のどちらかには靖国神社参拝をしています。
このように書くと「右」と思われるようです。実際、ツィッターでは「右派言論」リストに入れられています(笑)
わたしとしては思想に「右」「左」のスタンスを作るつもりはありません。(経済政策で言えば、自分の考えはリベラルですし)
自分を育ててくれた土地に愛着を持ち、これからそこで育っていく子どものことを思い、今、こうして生きていられることを先人に感謝する。
これって「右」も「左」もないと思います。ただこれだけなんです。じゃあ、また。