今回の書評はリーディングスキルテストを考案した新井紀子氏の著書「AI VS 教科書が読めない子どもたち」(東洋経済新報社)についてです。
話題の新刊なので既に多くの方が賛否それぞれの感想を書かれています。
本書の内容についてはそちらをご自分で探して頂くとして、この本を読んで陵坂が感じたこと、考えたことを書いていきたいと思います。
新井氏の講演会にも出席したことがあり、基本的に「ひいき目」で読んでいる部分は否めませんがその点も踏まえて、お読みくださいませ。
また感想が長くなり過ぎた為、2回に分けてお送りします。
リーディングスキルテストについては過去2回記事にしているのでそちらもご参考ください。
まずはおおまかに本書の構成からご紹介。 第1章は、AIの仕組みやAIが仕事を奪うことについて。 第2章は、東大合格を目指すAIをどう改良していったかについて。 第3章は、基礎読解力調査、RSTについて 第4章は、ズバリ「最悪のシナリオ」というタイトルです。 見どころは2章と3章。AIをどういうメンバー、どういう戦略で改良して東大合格を目指し失敗したのか。この経緯はとても面白いですし、RSTの実際の問題やその分析、相関関係が示されています。 巷には著者の新井紀子さんに対して賛否の意見があります。賛成は特に解説不要かと思いますが、批判の方について。 批判する方にも傾向が2種類あって、1つはAI関係の捉え方や発言について。例えば、この本でも「シンギュラリティは来ない」という主張をされています。 もう一つは「リーディングスキルテストの中身」について。 大人でも全問正解どころか普通に間違ってしまう問題もあり、間違った方からすればこれは「文章が悪い」と主張するケースもあるようです。 (余談ですが私は本書の偶数+奇数の理由について、典型的な誤答例が頭の中に浮かびました。全く偉そうなことは言えません) この批判は、論理的に正しい批判です。 というのも「来ないということは証明できない」からです。だって100年後、1万年後には来ないとは言い切れないでしょ(子どもの喧嘩みたいですが)。 平たく言えば「断言しすぎ」という感じでしょうか。 新井氏は本書でこういう書き方をしています。 シンギュラリティが来ないのは、今のAIの延長では、あるいは今の数学では、「真の意味でのAI」ができるはずがないからです。 (No.2101より引用) 今の研究から発展すればシンギュラリティが来るのか、それとも今の研究の延長線上にシンギュラリティが来るのか、私にはわかりません。 新井氏は現在の研究をベースにすると理屈上来ないので「来ない」と言い切っているわけです。今のAI研究が発展する可能性をどの程度見積もるかによってこの捉え方は変わる部分でもあると思います。 また新井氏が理論を立脚する「AIの仕組み=数学世界(論理・確率・統計)」自体が飛躍するのか、そもそも数学者である新井氏の理解が研究者と違うという可能性もあります。 例えばこんな指摘があります。 新井紀子教授はAIの専門家ではない 『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』 - 学校の勉強しかできないあなたへ こちらを拝見して陵坂はとても説得力を感じました。 AIのことを詳しくない私のような人は新井氏の言うことが「全て正しい」ように受け取ってしまいがちです。実際私がそうでしたから。 AIに関する知識を本書だけで鵜呑みにするのは危険なのかもしれません。 ただこのAIに関する部分とリーディングスキルテストが示す価値はまた別だと考えます。 前述のようにそもそも問題文が「悪文ではないか?」という疑問を投げかけるケースのことです。 「幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」という文と、「1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた」が同じ意味かを尋ねた。(太字・引用者による) (引用)教科書の文章、理解できる? 中高生の読解力がピンチ:朝日新聞デジタル 中学生の42%が間違えた問題です。 問題例は研究の関係上、ごく一部しか公開されていません。その為、公開された限られた問題例だけを見て、悪文か否かを判断することは困難です。またこの文を悪文か否か判断することは本質的にはあまり意味がないと思います。 というのも、世の中にあふれた文章が「読みやすいもの」「理解しやすいもの」だとは限らないからです。 後輩に「マンパワー」を「労働力(人手)」ではなく「俺の力」という意味で使用する人がいて、最初は冗談だと思っていたら真剣(マジ)だったことがあります。 (今となっては笑い話ですが、彼のような人がもし上司にいたらと思うとゾッとします(笑)) 世の中にはそんな人も、そうでない人もどちらもいるわけです。 そんな特徴のある例でなくても、法律や契約書などわざとわかりにくく書いているのではないかと感じる文章も社会には数多くありますよね。 リーディングスキルテストの本質は読解力があるかどうか。そして、それを現実社会で活かせるかどうかという視点のはずです。 その立場に立てば、問題文が悪文かどうかは根本的な問題ではないでしょう。 (明らかに悪文があるのなら問題ですが、公開されているものを見る限り悪文とは感じませんでした。) 陵坂は「リーディングスキルテスト」については大切だと考えますし、新井氏が主張するAIに代替されない能力が重要になるという部分については同じ考えです。 一方で、この書籍の残念な部分は、新井氏の書籍内における論理展開の粗さです。 例えば、RSTに取り組んでいる戸田市の「埼玉県学力学習状況調査」の成績が急上昇したことを引き合いに出す場面です。1年だけでは何も言えない、因果関係の検証も必要と著者が説明する通り、これだけでは何もわかりません。 しかし「戸田市すげー」「戸田市に住んでてよかった」と思う方も現れるかもしれないような文章になっています。 同様に著者がテレビで見たクイズ番組の一場面を取り上げたり、アクティブラーニングの一場面を取り上げたりする場面があります。 どちらも極端な例を取り上げているだけに過ぎません。さも一般的なように書いてありますが論理展開が飛躍していて「ちょっと狡いな」と感じました。そして、幾つかこういうパターンが出てきます。 この上に挙げた例は、クリティカル・シンキングを用いて読書する時の重要な観点だったりします。 もしかすると新井氏は本書を使って読者の読解力を調べているのかもしれません。 そうだったらとても面白いのに! なんてことを考えてしまいました。 というわけで、書評なのに長くなり過ぎたので次回につづきます。それでは、また。 続きを書いたよ⇒本書の構成
2つのよくある批判
批判1「シンギュラリティは来ない」について
批判2リーディングスキルテストについて
本書自体への批判