どうもりょうさかさんです。
今日はプログラミング教育についてです。
1月~2月にかけて各学校の研究発表で取り組みを見てきて感じたことを書きたいと思います。
見たものは車などの物体の動作をプログラミングして思ったように動かせるようにするものであったり、プログラミング用のソフトをベースに中のキャラクターを動かすものを見ました。
プログラミング教育が何を目指すかについては以前の記事をご覧ください。
間違うこと・失敗が前提の授業
教科の授業は1つの正解を求める
正直言って、プログラミング教育が小学校で行われるのには否定的でした。
文科省はプログラミングで色々なものが動いていることを知ってほしいとか言っていますが、そんなのよく知らない世代が今大半で不自由ないでしょ。
少子化が原因でIT関係のインフラ人材が10年後足りなくなるかとしか思えないわけで、それはわかるけど義務教育で全員に必要なの? と思っていたわけです。
しかし、実施に授業を見るとプログラミング教育の良さを肌で感じました
それが見出しの「間違うこと・失敗」が前提の授業だということ。
学校の授業って基本的に一つの正解を求めるものですよね。
教育だから仕方ない部分もあると思うんですが、間違えずにただ一つの正解を出すという価値観の中で小学校1年生からそれこそ高校卒業まで子ども達は過ごしていくわけです。
授業を見学していても感じますが児童・生徒って先生の意図を素早く的確に見抜きますよね。
「あっ、この発言求めてないな」みたいなの察していると思うんです。
でもその弊害が日本のPISAテスト等の無回答率の高さに繋がっているんじゃないかなとわたしは思っています。
わからない問題に遭遇した時に、わからなかったけど「私はこう考えたよ」と回答欄に書いて良いのに書かない。
間違ってちゃダメという空間にずっといるせいで、わからない問題に答えて、間違ってカッコ悪くなるくらいなら答えない。
正解以外発言しちゃいけないと刷り込まれた結果なんじゃないでしょうか。(これについてはエビデンスがないのであくまで想像です)
プログラミング教育の授業は試行錯誤そのもの
一方で、見学したプログラミング教育の授業はその逆でした。具体的な例を出しますね。
車の挙動をプログラミングする授業を見たんですが、児童がグループで話し合いをするんですよね。
何秒直進して、右に90度回転してまた何秒直進して、左に90度回転して…。
みたいな感じで話し合いをして、まずどのルートで走らせるのか。
じゃあその設定はこれで良いのか。で、実際にやると上手くいかない。
失敗するんです。児
童たちは首を傾げて、あれ?みたいなことを言ってるわけ。
それからまた集まって設定を変える。
で、またトライして失敗して、話し合って、設定を変えて…と繰り返すわけです。
失敗を前提に進んでいく姿は教科の授業ではなかなか見ることができないプロセスでそれ自体が大事なんですよね。
失敗を繰り返す手法がなぜ大事か
マシュマロ・チャレンジ
上段の学校教育にあまりないという以外にもこの失敗を繰り返す方法は成功への重要な要素だと言われています。
「残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する」(エリック・パーカー)という書籍でどういう方法で新しいことに挑戦すべきかという実験について「マシュマロ・チャレンジ」をもとに紹介しています。
マシュマロ・チャレンジといってもマシュマロを我慢しなさいと言われた子どもの我慢時間の長さに関する実験のやつではありません。
ピーター・スキルマン(マイクロソフト社スマートシングス、ゼネラルマネジャー)が考案した創造性を鍛える課題です。
ルールは簡単、4人1チームで18分以内にマシュマロを頂点とした自立したタワーをつくり、その高さを競うというもの。材料は次の通り。
- スパゲティ 20本
- マスキングテープ 1メートル
- 紐 90センチ
- マシュマロ 1個
以下、少し長いけれど大事なので本書から引用します。
一番成績が良かったのは誰だろう? なんと幼稚園に通う六歳児が勝利した(一番成績が奮わなかったのはMBAの学生たちだった)。(中略)
では、園児たちが成功した秘訣は何だったのか? ただがむしゃらに飛びついたのだ。ワイズマンの言う運がいい人のように、たくさんのことを次々と試した。彼らは何度試してもたちまち失敗したが、そのたびにめきめき取得していった。
つまり見本をつくっては試す、つくっては試す、つくっては試す…と時間切れになるまでひたすらこれをくり返すのが、園児たちのシステムだった。定められた道筋がない場合には、このシステムが勝利をおさめる。シリコンバレーでも昔から「早く失敗して、損害を小さくしよう」と言われてきた。
このように試行錯誤する力を幼稚園児たちは持っています。
つまり本来人間は持っているはずのとても大事な力なわけです。
ただ前述のように学校教育や社会などは試行錯誤の過程より成功した結果だけが大事とされます。
そういった価値観の中にいると要領良く結果を出す方法に目を奪われがちです。
でも、もし一番になりたければ、もし自分で問題を解決したければ要領の良さではなく「自分で考え、見付け、乗り越えられる」ような試行錯誤できる力が大事になります。
そして、そういった経験を小学校時代に出来ることは大事ですよね。
それがわたしの考えるプログラミング教育が必要だと感じた理由です。
きっとプログラミングを理解することよりも尊いことじゃないかな。
もちろん試行錯誤の場面は、理科や社会科なんかでも出来ることだとは思うんですが、授業進度との兼ね合いでなかなか出来ていないのが実態だと思いますし、じゃあ総合の時間でどうかというと今度はどの教師でも出来ているのかという課題が出てくると思います。
プログラミング教育なら構成上必然的に試行錯誤の場面が生じるわけで、どんな力量の教師であっても試行錯誤を経験させることが出来ますよね。
新しく始まる小学校英語やプログラミング教育を批判して、そんなことより「読み書きそろばん」とかって主張するのはとってもイージー。
だって今までそれで私たちは大人になってきたから。
その批判が正しいのか間違っているのはわかりませんが、どうせ文科省の指示のもとすることになるんだから、良い部分に目を向けていきたいです。
それでは、また。
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