この本を書いた「きっかけ」は何ですか? そうインタビューで聞かれるとわたしは「きっかけは別にありません」と答える。するとインタビュアーは驚いて、困惑する。
おそらくきっかけは誰にでも手に入るもので、きっかけさえあれば上手くいくというメッセージを送りたいのだろう。そのメッセージは大切なものを隠している。
ご想像の通り、これはわたしの文章ではない。
村上龍さんのエッセイにこういう趣旨の文章がある。
初めて読んだのは大学時代だ。「きっかけ」「転機」という言葉を目にする時にわたしはこの文章を思い出す。それはほとんど呪いだ。
きっかけとは
「きっかけ」とは良いものだ。誰かに勧められたきっかけで何かを始めることもあれば、失敗したことをきっかけに方針をかえて上手くいくこともある。恋愛でも転職でもダイエットでも何かきっかけがあって行動できるのなら素晴らしいことだ。
ただこの文章に出会ってから「きっかけがなかった」という言い訳は出来なくなった。
そのせいか、ふと自分の人生を振り返っても「きっかけ」を思い出すことが出来ない。
何を選択し、どういう行動をとろうとも「きっかけ」があったからではなく、自分が決断したものだ。偶然出会ったものですら、そこに至る過程に自分の意思が介在しているのだからきっかけや転機が理由ではなくなる。
別に自分の人生を全て自分で考え選んできた、とカッコつけたいわけではない。
人生とは日々の決断の積み重ねに等しい。その決断において流されて決めてきたことも多い。また、どちらにせよ決断は常に良い方に転ぶとは限らない。
どんな時でも「きっかけがあったから」「きっかけがなかったから」そういう言い訳が出来ない。これが呪いだ。
わたしは自分の人生をほとんど振り返らないし、振り返っても特に感慨にふけることもない。なかなか悪くない。そう思う。きっとこれからも振り返るとそう思うだろう。
それはきっかけにも転機にも影響されずに、自分で選び、決め、時に流されて生きてきたからだ。たぶんこの呪いが解けることはないだろう。だから、なかなか悪くない、そう未来の自分を思うことが出来る。
引用元
*冒頭の村上龍さんのエッセイのタイトルは「きっかけは別にありません」。
「蔓延する偽りの希望 すべての男は消耗品であるVol.6」(p.75~81)に掲載されています。
すべての男は消耗品である。VOL.6: 1998年10月?2001年3月 衰退期へ
- 作者: 村上龍
- 出版社/メーカー: 村上龍電子本製作所/G2010
- 発売日: 2014/06/16
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今回はエッセイっぽく書いてみたかったので文体を変えてみました。
たまにはこんな記事も。じゃあ、また。
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