りょうさかさんと

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オリ・パラ森会長失言から気付いたこと考えたことのまとめ


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どうも、りょうさかさんです。

オリ・パラ組織委員会の会長を森元総理が辞意するという報道がありました。

(参考)東京五輪・パラ組織委 森会長 辞意固める 女性めぐる発言で | オリンピック・パラリンピック | NHKニュース

この失言騒動について気付かされたことや考えたことをまとめておこうと思います。

はじめに

最初に書いておきますが、わたし自身は森喜朗さん個人に対して、肯定も否定も特別な感情はありません。

「IT革命」のことを「イット革命」と呼んだ「イットおじさん」くらいの認識です。

なので以下の文章には、森さん擁護的な内容も否定的な内容も出てきます。

それは前述したように森さんを裁くのが目的なのではなくこの一件で気付かされたことや考えたことを記録としてまとめておきたいからです。

オリ・パラ組織委員会をやめろという権利があるのか?

森さんの「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」という失言を機に森さんが務める東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の会長をやめるべきだという声が広がりました。

この発言自体「切り抜きだ」という指摘もあるようですが、置いておきます。

わたしが考えたのは「そもそも部外者がやめろと働きかけるべきなのか?」ということです。

例えば、政治家は選挙で選ばれます。

ですから、わたしたちが選んだ政治家をわたしたちが声を上げて「やめろ」と意思表明をすることも実際にそういった手続きを踏むことも認められるべきことです。

逆に、例えば大手企業の社長が問題を起こしたとして思っても「やめろ!」と運動することはオカシイと思うんです。

それは株式会社なら株主の仕事であって、わたしたちが出来るのは不買運動とかでしょと。

そして、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の会長職というと理事会と評議会に「やめさせる権利」があります。

(参考)森喜朗会長を解任できる権限は誰が持っている?菅首相も小池都知事もできない。正解は...(ハフポスト日本版) - Yahoo!ニュース

一方で、「学術会議任命拒否問題」では、任命権者である首相が拒否したことを問題視した意見がありました。

この「学術会議任命拒否問題」と構図が逆なんですね。

  • 森さんの場合は、部外者がやめるべきだといって問題にする。
  • 学術会議の場合は、任命権者が拒否したことを部外者が問題にする。

もちろん「やめた方が良い」「政府が口を出すな」と自由に意見を言う権利を否定するつもりはありません。

しかし、もし「運動」みたいな要素を含むのであれば違和感が残るんですね。

結局、理屈ではなく自分の都合に悪いことに文句言っているだけって気がしてしまう。

反対する人の気持ちはわからないこともないのですが「権利がないことを行使しようとする人達」をわたしは怖く感じるんです。

人の価値は過去に何をやったか、よりも今

一方で、森さんを擁護する意見として「過去の実績」を語る方がいます。

その気持ち自体はわかるんですが、それも筋悪かな? と思ってしまいます。

「過去の実績」で擁護する理屈を持ちだしてしまうと「過去の実績」がある方は無敵の人になってしまいます。

わたしの大好きな漫画家島本和彦先生の「逆境ナイン」という漫画にこんなセリフがあります。 

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男の価値は、「昔どうだったか」で決まるもんじゃねぇ。

「今現在どういう奴か」で決まるもんよ。

(引用)逆境ナイン6巻p.161(島本和彦/小学館)

「男」と書いていますが、これはあくまで台詞であって「老若男女」に当てはまる言葉だと思います。 

  • 過去に実績があっても今の評価が悪ければ、評価は変わる。
  • 過去に実績がなくても今、実績があれば評価を上げる。

単純にこの上の2つの評価基準で良いのではないでしょうか。

年をとれば誰もが老害になれるわけではありません。

「過去の実績」で擁護する人が「老害」を生んでいるんです。 

「代わりがいない人」は褒め言葉ではない

森さんを擁護する意見の中には「森さんの代わりがいない」とその実力を評価する声もありました。

この擁護についてわたしがハッとさせられたのは「ロザン」のお二人のyoutube動画です。 

この中で「森さんの代わりがいない」と擁護する声に対して、こんな趣旨の意見を言っていました。

「代わりがいない」は褒め言葉ではなく、その年まで後任を育ててこなかった人。

この指摘自体が森さんの「政治家」というポジションに当てはまるのかはわかりません。

しかし、少なくとも企業ではそうですよね。

「代わりがない人」も人を育ててこなかった「怠惰」によるものかもしれません。

部下を「無能だ」と嘆く上司は、部下を育てる能力がないと白状しているだけという言葉を聞いたことがありますが、それにも似ているかもしれませんね。

無償でしてくれている人

森さんを擁護する意見では「無償であれだけしてもらっていて」という内容も見かけました。 

これも擁護としては筋悪だと思います。

まず無償だから許される、という考え方はオカシイです。

有償だろうが無償だろうが、それは関係ないです。

関係するとしたら役職の違いだと思います。

一方、「無償でしているのに失言したらこんなに叩かれたら、次に誰もやる人がいなくなってしまう」という意見もあるかもしれません。

これに対しては、そもそも無償がオカシイと思います。

森さんが無償なら当然誰も金銭面の補償はないと思いますが、本来は「お金をしっかり払うから責任を持って仕事してね」というのが筋だと思うんです。

わたしも似た考えを無意識に持っていた

最後になりますが、当初、わたしは森さんの失言記事を見た時に「それを言っちゃ、おしまいよ」と思いました。

逆に言えば、わたしの中にも森さんの問題発言にまつわる女性へのイメージが無意識にあったんですよね。

そして、「わたしより年配の人達はわたし以上にこういうイメージが無意識にあるだろう」と、これまた無意識に思っていました。 

だから、 ちきりんさんの下記ツイート「繰り返しますが、私が望んでいるのは彼の辞任ではなく、このクラスの男性たちの再教育」というのも、それに続く例えは悪すぎるけれど「このクラスの男性たちの再教育」という視点に少し頷いてしまったんですね。

でも、このちきりんさんのツイートも森さんの女性蔑視発言と同じ構図なんですよね。

男性から女性ではなく、女性から男性に向けているだけで。

(「このクラスの」という枕言葉を付けているとはいえ、特定の人ではなく「広い男性層を指摘している時点で同じ構図です)

一方で、森さんの後認が、女性でないことを嘆く人もいるようです。

こういった発言自体も女性蔑視だという指摘がありました。

なんとなく男性、女性といった大きな枠で語ったり考えたりしてしまいますが、その考え方自体が男性蔑視、女性蔑視に繋がってしまうんです。

何かあるとついつい思い込みで一般化してしまいがちですが、人を笑ったり裁くのではなく自己を省みようと思いました。

以上、あくまでわたしの「気付き」と「思考の記録」でした。

それでは、また。