どうも、りょうさかさんです。
最近、若い世代を中心にコミュニケーションの質が変わったのかな?
そんなことを考えていました。
コミュニケーションの質が変わった
以前、「ロジハラ」について記事を書きました。
「ロジハラ」とは「正論ばかりを突きつけて相手を追い詰めるハラスメント」のことです。
愚痴を言われた時に「君も悪いよ」と返答することも「ロジハラ」になるそうです。
この「ロジハラ」については上の紹介した記事でボコボコにしてやったのですが、それから少し考えることがありました。
それは、もしかするとコミュニケーションの質が、10~20代とそれ以外では違うのではないかということです。
もちろんわたしだって愚痴に対して正論が来た際は、期待していた答えと違うと感じる時もありますが、ただのコミュニケーションギャップであり「ロジハラ」とまで思いません。
しかし、そういうことすら異質だと感じるコミュニケーションになっているのかな、と思ったわけです。
質が変わったのは、コミュニケーションの総量が増えたため
時代を反映するお笑い芸人に目を移せば「ぺこぱ」や「ミルクボーイ」のように「誰も傷つけない笑い」が話題になっています。
またツィッターなどでも「友人が誤ったことをした場合、指摘するよりもそっと離れる」という趣旨のツイートが指示されていた記憶があります。
傷つきたいないし、傷つけたくないという意識がより強くなっているように感じます。
一方で、若い世代の相槌で「それな」というの共感のフレーズは、LINEスタンプのように記号化しています。
「傷つけない言動」と「共感の記号化」はもしかすると同じ理由なんじゃないかと考えてみたり。
20年前と違って、今はLINEやツィッターの存在があり、コミュニケーションの対象数と回数が増えた結果、コミュニケーションの総量が遥かに増えているんですよね。
LINEで気軽にやり取りが出来るし、ツィッターなどのSNSで会ったこともない人ともやり取りができますよね。
仮に、コミュニケーションの中で傷つけるようなやり取りが1%だとしましょう。
1日のコミュニケーション数を20年前は100だとすると、今は300とか500、人によっては1,000とかになっています。
20年前のコミュニケーション感覚でいると、一人の人間に対して傷つけてしまう可能性は変わらないけれど、1日で傷つける可能性は3倍とか5倍に増えてしまう。
逆に言えば、自分が傷つけられる可能性も以前より3倍とか5倍に増えているんですよね。
つまり、やり取りの総量が増えているから、これまでよりお互いに傷つけないように配慮するようになっている。
それがコミュニケーションの質に変化を生んでいるんだけど、その違いに気付かなかったり、鈍感なことを「ロジハラ」と呼んだりするようになったんじゃないか。
わたしはそんな風に考えました。
それでは、また。