どうも、教育関係会社員のりょうさかさんです。
安倍晋三元総理が凶弾に倒れるという事件がありました。
あまりにショックの大きい事件だったのですが、記録として残しておこうと思います。
事件当日
7月8日、事件を知ったのは仕事の合間にランチをしている時でした。
最初は嘘、デマ、見出し詐欺だと思いましたがTwitterのタイムラインを見ているとどうやら本当らしいと思いました。
すぐに事件に居合わせた方が撮影された動画にも気付きましたが、わたしはその再生をタップすることはできませんでした。
それ以降は意図的にテレビもその部分は見ないようにしています。
時折、目の裏が熱くなり、涙が溢れそうになるのを堪えながら仕事を続けました。
そして夕方、妻のLINEで訃報を知りました。
家に着くと娘が暖かく迎えてくれるいつもの日常です。
テレビは真っ暗で、娘の好きな音楽をスマホか何かで流していたと思います。
娘がお風呂に入っている間にテレビをつけると安倍元総理が亡くなられた特番が各局で放送されていました。
ザッピングしただけだったのですが、無性に腹が立ち、すぐに消してしまいました。
「こんな日こそ、Twitterはやめて本を読もう」そういう趣旨のツイートが目に留まり、スマホを物置部屋に放り込んで、眠くなるまで本を読んで過ごしました。
どうしてここまでショックなのか
安倍元総理に対して世間では様々な評価がありますが、わたしは好きな政治家の一人でした。
ただここまでショックを受けるとは自分でも想像していませんでした。
きっと政界からフェイドアウトされ、何年後かに訃報を聞いていれば、ここまでのショックを受けなかったと思います。
どうしてここまでショックを受けたのか考えて、まず思いついたのが「日常を傷つけられた」という点です。
撃たれたのは安倍元総理だけではないんです。
演説する政治家、守るSP、聴衆という「日常」に銃弾が撃ち込まれ、私たちも皆傷つけられたんです。
以前、カメラマンの宮嶋茂樹さんの本で「写真が撮れるということは、スナイパーが撃てるということ」という趣旨の文章を読んだ記憶があります。
日本のように政治家の写真を気軽に撮れるということ自体がとても平和なんですよね。
その平和が脅かされたからショックを受けたんです。
2022年という1年
2022年は何年後かには教科書に載る一年でしょう。
2月24日のロシアによるウクライナ侵攻があり、7月8日の安倍元総理への凶弾。
教科書ならおそらく数行~10行程度で語られるような内容でしょう。
将来、子どもたちが教科書を見た時には感じることができない庶民の日常、それを今、自分が体験している不思議さ、なんとか生きていけている現実。
それらを噛み締めてこの時代に生きる庶民として、前を向いて歩いていきたいと思います。
最後に、改めた安倍元総理のご冥福をお祈りいたします。