RYOSAKASANTO

教育業界にいる陵坂さんが教育・子育て・DWEなどについて書くブログ

巨人の肩の上に乗り続ける困難さ


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「巨人の肩の上に乗る」というフレーズを聞いたことがあるでしょうか。

言うのは簡単ですが、結構厳しい言葉だと考えています。今回はそんな話。

巨人の肩の上に乗るとは

「巨人の肩の上に乗る」とはそもそもどういう意味でしょうか。巨人の肩の上に乗っている場面を想像してみて下さい。地面に立っている時より遠くまで見渡せそうですよね。

「巨人の肩」とは、これまで人間が培ってきた英知のことを指しています。

シンプルに言えば、過去の発見を学び、それをもとに新たな発見をしようという意味です。

アイザック・ニュートンの手紙のフレーズとして有名ですが、実際には12世紀のフランスの哲学者、シャルトルベルナールの言葉です。

巨人は成長し続ける

過去から学ぶという意味では、全ての学習は「巨人の肩に乗る」ことであるとも言えるでしょう。そして、教科学習では教科書や問題集のように過去の発見を体系的にまとめているものが存在します。

一方で論文や探求活動を行う際に、それらが常に体系的にまとめてられているとは限りません。学問以外の分野においてはよりそれが顕著だと言えるでしょう。

また体系的にまとめられていたとしても「巨人の肩の上に乗る」ための苦労は若い人ほどほど難しくなります。というのも巨人の背がどんどん高くなっていくからです。

巨人の肩に乗るのは難しい

そうは言っても教科書や専門書などで体系的にまとめられているから大丈夫ではないか。そう思われるかもしれません。

イメージするとわかりやすいのは、漫画やゲーム、アニメ、音楽、映画です。

例えば音楽で考えてみましょう。クラシック音楽などは学校の授業で教えてくれます。また最近はJ‐POP、洋楽なども教科書に掲載されていますよね。しかし、掲載されていたとしても例えばクラシック音楽をまるまる一曲を聞くことはありません。

教科書に掲載されていない数多くのJ-POPが存在します。そして、これら以外にも民族音楽、映画音楽、ゲーム音楽というジャンルだってあります。そして、それぞれのジャンルで日々新しい音楽が生まれ続けています。

(ゲーム音楽ならこの書籍がオススメ)

村上龍さん(?)のエッセイか何かで「音楽というジャンルが掌全体だとすれば、自分が聞いている音楽なんて小指の先ほどしかないということを自覚しなければならない」みたいな文章があった記憶があります。(ウル覚えですいません…)

巨人の肩に乗り続けるのもまた難しい

音楽を例に話を続けましょう。

仮にあなたがJ-POPについて極めたいと思ったとしましょう。少なくともビートルズまで遡ろうと思うと1960年代まで遡らなければなりません。今から60年前です。

10年後の高校生が同様のことをしようとすると70年前を振り返る必要があります。

20年後の高校生は80年前を振り返る必要があります。

時代が移り変わってもこの年代まで遡らないといけないよね、という時代はそれほど大きく変わったりしないものです。J-POPを少しでも語りたければ、おそらくビートルズはどれだけ時代が進んでも不可欠な存在でしょう。

若い人にとって滅茶苦茶不利ですよね。

この「J-POP」をあなたが興味のある分野、極めたいと思う分野に置き換えてみてください。あなたが最先端の研究をする前に、知っておかなければならない前提となる知識が増え続けるのが、この世の中です。

厳しくもありますが、一旦追いつけば若さが有利に働くということも覚えておいてください。社会に出れば、過去の経験しか若者に優るものがなく、何の価値もない社内評論家になってしまう人間がいます。

どうしてこういうことが起こってしまうのか。それは前述のように、巨人は常に大きくなり続けるからです。

巨人の肩に乗ったことに安心して、努力を怠れば気が付けば巨人の腰あたりに移動しているんです。

巨人の肩の上に乗ることは簡単ではありませんが、肩の上に居続けるのもまた簡単ではないのです。

生き続ける限り、学び続ける。ぜひ、忘れないでいてくださいね。わたしも日々、少しずつ学び続けたいと思います。それでは、また。