「平成最後」という言葉は、好きではありません。
個人的には平成31年4月30日のことを「平成最後の日」とは言わずに「令和の前日」と呼びたいと思います。(面倒くさい人ですね、わたし)
(写真は、先日高島屋日本橋店で開催された「国民とともに歩まれた平成の30年」展で展示された「御成婚パレードの儀装馬車」)
平成最後が嫌いな理由
「最後」という言葉は強烈なインパクトがあります。「最後の日」となるとその効果は、さらに高まります。
ノストラダムスの大予言「人類最後の日」
映画「地球最後の日」
小説「人類最後の日」
アニメ「真ゲッターロボ 世界最後の日」
どれも我々の心を揺さぶってやまないですよね。それがこの「最後の日」という言葉の力です。
では、なぜ「平成最後」という言葉が好きではないかというと、商業的な匂いがキツすぎるからです。
もちろん別に商業的なことが悪いわけではありません。モノを売ろう、お金儲けしようという気持ちはわたしにも勿論あります。
ただ今回の改元と商業的なものの相性の悪さが、それを感じさせていると思うのです。
ありがとう平成
退位される天皇皇后両陛下のご公務の姿を報道されるのを目にする度に、なんとなく胸にこみ上げるものがあります。この気持ちを上手く言語化するのは、とても難しいなと想うわけです。
「お疲れ様です」でもないし、当然「ごめんなさい」でもありません。
そんな時に娘と上野動物園に行くことがありました。その日、上野動物園では「ありがとう平成」という色紙と共に写真撮影のサービスをしていました。
「ありがとう平成」
素敵な言葉のチョイスだと思いました。
「平成」は色々なことがありました。良いことも沢山あったけれど、地震・豪雨といった忘れてはならない災害が多かった時代でもありました。
でも「平成」から「令和」に改元し、ご退位されることを思うと「ありがとう平成」という言葉はとってもわたしの気持ちにぴったりだと思いました。
そして、胸の中に「ありがとう平成」という気持ちと商業的な「平成最後」という言葉の間にはとても大きな溝があります。この溝にわたしは違和感を覚え「平成最後」という言葉が好きになれないのだと思います。
令和に向けて
わたしは昭和生まれなので、改元を経験したことは「平成」の一度だけです。
「令和」が発表された時におそらくこんな明るい改元は、なかなかないことだと思いました。
もちろん改元しようが、新年になろうが、基本的には庶民にとっては日付が変わるだけです。わたしの目の前の悩みや課題が消えてなくなるわけではありません。
それでも令和の時代も「ありがとうと思える」そんな日々になれば良いなと祈るばかりです。
令和前日、あなたは「平成」にどんな想いがありましたか。寝る前にそんなことを思い浮かべてみるのも悪くないですよ。それでは、また。
次に読もうと思っている本がコチラ。