りょうさかさんと

教育業界にいる陵坂さんが教育・子育て・DWEなどについて書くブログ

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反対はもっともイージーな権力行使


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「反対」とは、権力者にとって一番気楽な意思決定ではないか。

今回はそんなお話。

(Photo by Andy Tootell on Unsplash

多数決の賛否はわかれるもの

「賛成」も「反対」もそれ自体は意見に過ぎず、善でも悪でもありません。あらゆることに賛否がわかれるのはある意味、健全です。

わたしたちが社会生活で生きていく中で、特に議論が起きるような出来事(例えば政策(基地移設、市場移転など))において全員賛成、もしくは全員反対ということは起こりえません。

立場も違えば、利害関係も違うからです。

むしろ全員がどちらかに一致することの方が、理解し難い力学が働いているとみるべきでしょう。

多数決以外の賛否

でも、世の中には多数決で決める場面ばかりではありませんよね。わたしたちが住む社会では、純粋な多数決よりもそうでない場面の方が多いのではないでしょうか。

それは、権力構造の中における意思決定の場面です。

企業であれば、取締役会のある何人かが決断しなければ物事が進まない場面をイメージしてもらうとわかりやすいかもしれません。

学校現場であれば、先生の多数の意見よりも校長先生一人の意見や教育委員会の意見の方が優先されるケースがあるでしょう。

下からの要望というか、ボトムアップ型の企画や改善案なんかは、仮に平社員の多数が賛成・要望していても、上司・役員の反対意見の方が遥かに大きな力を持ちますよね。

そういう権力者にとっての賛成・反対は、どう意味を持つのでしょうか。

現状にNOを突き付ける「賛成」今の自分が正しい「反対」

こういった場合、賛成意見というのは変革を進める意味合いを持ちます。逆に反対意見は、現状維持を意味します。

つまり『現状を変化させる「賛成」』『現状を守る「反対」』だということです。

わたしたちはこのことを良く理解する必要があると思うのです。

会社の役員など意思決定をする人間にとって「今ある現状」は彼らが作り出してきたものであり、彼らにとって有利なものであり、彼らを生み出したものでもあるわけです。

その「今ある現状」を「変化させる賛成」に役員たちが動くということは、自己否定にも繋がります。 

しかも変化させたとしても、現状がよくなるかどうかは誰にもわかりません。

当然より悪くなる可能性すらあるわけです。そうなった時に責任を取ることになるのは最終決定をした人たちですよね。

そんな時、彼らにとって便利なのは反対することです。

反対して生まれるのは「現状維持」です。

現状維持にもリスクはありますが、現状維持を選んだ選択に対して、後から責任追及されることはほとんどありません

過去の企画を却下したことを理由に処分された管理職なんていないでしょ。(過失や法律違反を見過ごした場合は別ですが…)

また人は新しい挑戦に対してのリスクの方を大きく評価する傾向があります。以前も紹介した現状維持バイアスという奴です。

それに加えて、現状維持によるリスクは、ゆっくりと事態が進行するので問題が顕在化しにくいという特徴があります。いわゆる茹でカエル現象です。

気が付いた時にはほとんど手遅れという奴で、社会現象なら少子高齢化問題の日本の政治家の対応なんて、まさに茹でカエルと言えるでしょう。

つまり変革やチャレンジに反対することは、現状維持だから責任問題にならないし、本人や周りも現状維持バイアスが働くので納得しやすく、バレにくいということです。

だから反対はもっともイージーな権力行使

あなたが会社の役員だったらどうしますか?

部下が挙げてきた新企画は、面白いけれど本当にヒットするのかは未知数だし、経費は10億単位でかかります。

賛成して成功すれば良いですが、失敗すれば決済を推した責任を負うことになるでしょう。逆に反対して却下したとしても5年後に反対した責任を問われることはありません。

しかも後10年何もなく過ごしたら退職金を貰っておさらばです。一方で、創業者一族が会長として残っており、「このままで良いのか?」と目を光らせています。

一番リアリティのある選択肢は、「なんとなくチャレンジしている風に見せて、自分が会社を去る10年後まで延命措置を取る。残った社員たちは申し訳ないけど自分で頑張ってね」というものかもしれません。 

もちろん無条件に「賛成が素晴らしい」「変革が素晴らしい」「チャレンジが素晴らしい 」なんて言うつもりはありません。

ただ様々な意思決定の背景に、現状維持が有利な状況があること、そして、その状況では「反対」はとってもイージーだということを理解しておくべきだと思うわけです。それでは、また。

注・今回の例え話はフィクションです。実在する会社や学校、教育委員会とは関係がなく、また揶揄をする目的はありません。 

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