今回は、「幸福」について以下の3つのことを書きます。
・幸福には色々な意味がある。
・相対的、空間軸的な幸福がある。
・時間軸的な幸福がある。
自分がどんな幸福を大事にしているのか考えながら読んでみてくださいね。
(Photo by Helena LopesonUnsplash)
他人の「幸福」はわからない
先日ツィッターで見かけた、ある文章です。
「格差」を肯定する発言を読む度に憂鬱になるのは、「みんなで幸福になろう」という発想の欠落なのです。
竹中平蔵氏や堀江貴文氏や田端信太郎氏らの「格差」を肯定する発言を読む度に憂鬱になるのは、「みんなで幸福になろう」という発想の欠落なのです。「頭のいい人」だけが幸福になる権利があり、そうでない人は不幸になって当然、という新しい差別主義の発想は、憲法の幸福追求権の否定なのです。
— なうちゃん(弱い自分を恥じないこと、弱い誰かを笑わないこと) (@nauchan0626) 2019年1月8日
ツィッターで拡散されたこの文章の「幸福」という言葉がどのような意味で使われたのかは、わたしにはわかりません。
ちなみにホリエモンは、ベーシックインカムなどにも言及していますよね。そこから考えると一定の生活水準=幸福という意味では使っていないのかもしれません。
「幸福」とは
幸福とはとても広い意味の言葉です。あなたは幸福という言葉を聞いて、どういう状況をイメージするでしょうか?
札束が宙に舞うイメージでしょうか? 家族との団らんの一時でしょうか?
希望の大学に合格した時かもしれませんし、大きな商談が成立したときかもしれません。安心してゆっくり御飯を食べることの出来る時間かもしれませんし、恋人のもとへ向かって走っている時かもしれません。
大勢でバカ騒ぎをしている瞬間かもしれないし、一人でお気に入りの音楽を聞く時だってあるかもしれません。
幸福は、使う人、文脈によってもそれが指し示す意味は変わってしまいます。特に現代の日本では、尚更です。
10歳まで生きられない子どもが数多くいた時代になど、そういう物質的に恵まれていない時代では大勢の幸福は、共有しやすく、また共通であったと思います。
しかし、個人主義と言われ、価値観の多様性と言われる現代では共通の幸福をイメージすることは困難です。
格差を前提とした幸福もある
人間は常に幸福を追い求める生き物です。
誰もが幸福になりたいと思っている。そこに例外はない.....。これこそが、首を吊ろうとする人をもふくめて、あらゆる人間のあらゆる行為の動機である。(『パンセ』425)[3](引用 幸福 - Wikipedia)
フランスの哲学者パスカルは、自殺する時ですら人は、幸福を求めていると。
漠然とした「幸福」を追い求めるけれど、どんな「幸福」を手にしたいのかイメージが持てない時に簡単なのは、他人と比べることです。
自分より「下」を探して、安心する。自分より「上」を探して、それを追い求める。
この相対的な幸福は、とてもわかりやすい。なぜなら、自分の周りを見渡せば、テレビを眺めれば簡単に把握し、時に享受できるからです。
下を探そうと思えば、生活保護を受けざるを得ないような「貧しい人」や「自分より仕事の出来ない人」「スキャンダルに巻き込まれている人」「炎上している人」を探せばよろしい。きっと微かな幸福を味わえるはずです。
上を探そうと思えば、ZOZOの前澤さんみたいな「富裕層」や「仕事の出来る人」「華やかな世界で活躍している人」を探して、その中から目指したいもの、部分的にでも真似したいものを見付ければよろしい。
しかし、この相対的な幸福だけを追い求めるだけでは、幸福にはなれません。
いや、短い時間であれば得られるのかもしれない。でも、それはすぐに手のひらから零れ落ちますよね。
だって下を見ても感じられるのは微かな幸福。上を見上げて、ようたく辿りついても、そこから見える景色は、まだ上には上がいるということ。それを繰り返し続けても、きっとまた上を見上げ続けることになるわけです。わたしだったら首が痛くなって途中で止めますよwww
時間軸を主軸に置く
この相対的な幸福は、空間軸に軸を置いた幸福だとも言えます。このことは以前、こちらの記事で書きました。
相対的、空間軸。どちらの呼び方でも良いのですが「他人と比べる幸福」自体を否定するつもりはありません。人間は無意識のうちに他人と比べて自分が幸福かどうか感じてしまうからです。
ただ、それだけの評価基準だとシンドイよね、と思うわけです。
そこで、もう一つの評価基準としての「時間軸」として幸福を認識しておいた方が良いと思うんです。
時間軸は、「今より将来の方が良くなるかどうか」という価値基準のことです。
例えば、会社が上り調子であれば、まだ給与などに反映されていなくても充実感や幸福を感じるということ。逆に今勤めている会社の業績が悪化していれば、倒産しそうだなと不安や不幸を感じますよね。
この時間軸の基準を自分の外に当てはめた場合が、今の例です。
わたしが好きなのは時間軸の基準を自分に当てはめることです。
プロゲーマーのウメハラさんの著書「勝ち続ける意志力」(著・梅原大吾)でも「自分の成長に焦点を当てること」が述べられています。
これの良い点は、比べる対象が「過去の自分」「今の自分」「未来の自分」だからです。
「他人」はコントロールできませんが、「自分」はコントロールできますからね。
ポイントは、些細な成長でも良いから自分が変化していることを自分で見つけることです。本書でも「定食屋でいつも頼むメニューと違うメニューを注文してみた」そんな簡単なことでも良いと述べられています。
ブログであれば、アクセス数や収益は当然大事なんですが、わたしの場合はそれよりも記事の内容が過去よりよくなっているかを基準にしています。
そういう基準の方が長期的には結果にも繋がる可能性が高いと思うんですよね。
幸福の定義を自分でしない限り幸福になれない
・幸福には色々な意味がある。
・相対的、空間的な幸福(他人と比べる幸福)がある。
・時間軸的な幸福がある。
冒頭の通り、3つのことを書いてきました。
そして、最初に戻ります。
「他人の幸福」はわかりません。あなたが何に幸福を感じるのか、他人にはわかりません。あなたの幸福がわかるのは、あなただけです。
他人と比べても良いし、時間軸でも良いし、全部でも良いです。でも、それを自分で決めない限り、なんとなく幸福でなんとなく不幸です。
でも、自分の幸福を自分で定義することは、自分の中で優先順位をハッキリさせることです。それって、自分の人生の軸を決めることとも言えますよね。
幸福の定義は、年齢や経験によって日々変えていって良いです。
まず、自分にとっての幸福を「これだ!」と決めてみてくださいな。なんか自己啓発本みたいになっちゃったのでこの辺で。では、また。