学力が高い家庭の傾向として顕著なものがいくつかあります。
今回取り上げるのは、その中の一つである「親の蔵書数」です。
個人的見解を先に書くと「本が身近にあると良いよね」ってことです。
蔵書と学力の関係
家庭の蔵書数が多いほど学力が高い傾向がある、と冒頭に述べた根拠について触れておきましょう。
文科省が実施した学力テストの保護者アンケートの資料だとこのような数字が出ています。
以下の図は親の収入などの社会的背景を踏まえた蔵書数と学力の関係を見たものです。
資料から引用すると…
社会経済的背景を統制しても蔵書数と学力の関係は残ることがわかる。ただ,関係の強さは,それほど強いものではない。また,注目されるのは,Lowestの「501 冊以上」の家庭の子供よりも,Highest の「0~10 冊」の家庭の子供のほうが学力の平均値が高いということである。このような関係は,社会経済的背景・学習時間・学力の関係でも同様のことが指摘されている(お茶の水女子大学 2014)。
*社会経済的背景とは、ざっくり「保護者の学歴・世帯収入」だと思ってください。
*蔵書には、漫画、雑誌、教科書・参考書、絵本、子ども向けの本は含まれていません。
つまりどういうことか。
- 蔵書数が多いほど学力は高い傾向にある。
- しかし、社会経済的背景が高ければ、低い層よりも蔵書量が少なくても学力は上になる。
結局、親の学歴と収入が高い方が上なのね…。
と現実の厳しさを突き付けられる身も蓋もない結果です。
一方で同じ学歴と収入なら、蔵書数が多い方が子どもの学力も高くなる傾向も見て取れます。
どうして蔵書数が多いと少しでも学力に影響するのか?
文科省の分析ではあくまで相関関係のみで因果関係やその背景についてはわかりません。
蔵書数が多いと学力が高くなるのかの理由についてもわかりません。
ですから、ここからはあくまでわたしの考えです。
(ノーエビデンスな内容ですから興味のない方は押さえておくべき情報としてはここまでで十分ですよ)
蔵書数は以下のような要素が子どもに好影響を与えているのではないでしょうか。
- 家族と読書に対してポジティブなイメージを持つ
- 本を通じて世界が広がる
家族と読書に対してポジティブなイメージを持つ
この話をする前に「読書家」に対してどんなイメージを持ちますか?
詳しそう、賢そう。
そんなイメージを持つ方もいると思います。
わたしは多い年で1年間に70冊ほど読みます。
多い人はもっと多く読みますが、全く読まない人からすると結構多い部類に入ると思います。
では、実際に詳しいか賢いかというと残念ながら…というのが事実。
いや、この事実は自分でも悲しいんだけどね。
読書をしても賢くなるとは限りません。
わたしと同じくらいの読書量の友人も同じようなことを言っていました。
きっとそこそこ読書する層も同じような考えじゃないかなと思います。
でも、前述のように詳しそう、賢そうとポジティブなイメージを持つ人は多いような気がします。
そして、子どもだって同じようにポジティブなイメージを持つんじゃないかと思うわけです。
お父さん、お母さんが家事のホッとした隙間に読書している姿を見たとしたら。
親の部屋にコッソリ入った時に本が沢山並ぶ本棚を見つけたとしたら。
きっとお父さん、お母さんって詳しそう、賢そうってポジティブなイメージを持つんじゃないでしょうか。
そういう気持ちが普段の態度に現れるかもしれないし、書籍に対しての興味に現れるかもしれません。
そうやって本を読むようになるかもしれない。
学力の要素には親の働きかけが大きな意味を持ちます。
でも働きかけが伝わるかどうか。
そういう心理的背景に影響するんではないでしょうか。
本を全く読まない親から「勉強してみたら」「本を読んでみたら」と言われるのとメチャクチャ本を読む親から同じことを言われるのを思い浮かべてみてください。
どちらの方が受け入れやすいでしょうか?
また、もし本を読まなくたって、いつでも読むことの出来る環境と読むことが珍しい行為じゃないって状況が大切だと思います。
本を通じて世界が広がる
よく本棚は恥ずかしくて他人に見せたくないという話があります。
アメトークの読書芸人でも嫌がる芸人さんは多かったはず(堂々としていたのカズレーザーくらいだったようなw)
それはある種、本棚の書籍がその人の単純な興味だったり、本性やコンプレックスに関わる部分を具体化しているからなのかもしれません。
「人前で緊張しないで話す方法」みたいな本があったらコンプレックスの裏返しだということが一目瞭然ですよね。
そして、それを身近に見る機会があるのは当然、家族です。
実はわたしの両親はともに読書家。
父の本棚には歴史小説と某大学で勤めていた時の専門書・学術書が並んでいました。
父の本棚にあった「ラプラス変換理論」と書かれた書籍は今でも覚えています。
この本を見付けた時のわたしの気持ちは、なんて中二病的なカッコイイ名前なんだ!w というもの。(当時中2病という言葉はありませんでしたが…)
当時のわたしはラプラス変換について父に尋ねました。
すると父の答えは「物体の初速度がわかると未来がわかる」というこれまた中二病100%な返答をしてくれて、数学や物理に興味を持った記憶があります。
この本は父が大学で勤めていた時の書籍ですが、子どもの頃のわたしはこの短い会話と書籍から父の働いてた姿や数学・物理のことなど、自分には知らないことがこの世の中には数多くあるんだと感じました。
これは別に父の蔵書だけではなく、母の蔵書、姉の蔵書に対しても同じでした。
子どもの頃に背表紙のタイトルをさらっと眺めて書籍を手に取れる環境があり、その本についてどんな内容なのか気軽に聞くことができる。
こういう日常の何気ない経験から子どもが学ぶことは計り知れないんじゃないかな、と思うわけです。
別に読まなくてもタイトルからだけでもわたしのように知らない世界を垣間見ることが出来るはず。
賢くなるとは限らないが世界は広がる
そして、もし何かのきっかけに子どもが書籍自体も読み始めることになれば、さらに世界が広がるんじゃないでしょうか。
自分の周りだけが世界ではないことに気付くはずです。
目に見えない粒子ほど小さいミクロの世界があることに気付くかもしれないし、遠く離れた異国のことを知るかもしれないし、過去の歴史に興味を持つかもしれない。
繰り返しになりますが、蔵書数と学力の関係について明確な根拠があるわけではありません。
また読書をすれば賢くなる・学力が上がるとも限りません。
でも、書籍に物理的にも心理的にもアクセスしやすい環境が大切だと思います。
それでは、また。
最近読み終わったのは、イスラエルの諜報機関モサドに実際にいたエージェント本人が書いた本。
リアリティしかないからオススメだよ。