どうも陵坂です。「革命のファンファーレ」に続いて西野亮廣さんの「魔法のコンパス」を読みました。
読んだ理由は「革命のファンファーレ」で再三「これについては「魔法のコンパス」で書いたから省略ね」みたいな記述があって、こりゃ読まなあかんぜよ、とまんまと西野さんの罠に引っかかったというわけです。
読んだ結果、これまた刺激的な内容だったのでご紹介。とはいえ、既に発売されてから時間も経っているので「教育」という視点から陵坂が感じたことを書いてみたいと思います。
問題発見と解決する能力
私は常々「課題研究」「論文」が大事になるという主旨のことを書いてきました。
それはこれからの時代はAI技術の進歩によって職業が減ると言われていたり、人口減少によって15年後には3軒に一軒が空き家になると言われていたり、今まで以上に予測不可能な時代になると考えているからです。
そういう時代に必要な能力は、学校教育で重視されてきた知識や勤勉さ、我慢強さではなく「自分で問題を見つけ解決する能力」だと考えています。
でもそれを身につける為にどうすれば良いのか。
「魔法のコンパス」では
「ときどき「生きづらい世の中だ」と嘆いている人を見ると、羨ましくて仕方がない。天然でボーナスステージに立ってんじゃん」(魔法のコンパスp.26より)
と指摘しています。そして、いかに問いを立てることの重要性とヒントが続きます。
この嘆いている人ほどチャンスという姿勢っていいですよね。それに実際利点だということが読むと良く分かりますよ。
自分と他者を理解する力
他にも「メタ認知」という言葉を使わずにその内容に言及する場面があります。
タモリさんに絵本を書けと言われる下りがそう。絵本を書けと言われた西野さんは素直に絵本を書こうとするのだけれど、そこは西野さん、すぐに作品に取り掛からず既存の作家と彼我の戦力分析を行います。
絵や出版のノウハウ、人脈など負けているところだらけ。唯一「制作時間」だけは勝っていることに行き着くとその土俵で勝負することを選択することになります。
対象年齢は親のエゴ
「親や先生が考えている「子供向け」というのは、「子供なら、こういうものを好きであってほしい」というエゴなんだよね」(魔法のコンパスp.203より)という章の主張があります。
誤飲などの可能性があるから子供用玩具が対象年齢を設定するのは理解できますが、絵本や児童書に対象年齢や対象学年をつけるのは微妙。通販でタイトルだけで買う場合は有効かもしれないが、子ども自身や親が中身を見て選べばいいだけ。
夏の読書感想文コンクールとかで低学年用とか分けるのは商業的に主催者の毎日新聞社や出版社にはメリットはあるけれど読者は縛られない方がいい。
「100万回生きたねこ」や「不思議の国のアリス」など、世の中には大人になってから読んで新しい発見が出来る絵本や書籍はいくらだってあるし、子どもなりに成長によって見方が変わるはずだ。
書籍の対象年齢や文書量は気にせず、何を感じて、何を表現できるかの方が、よっぽど重要です。
「「理解出来るものしか与えないことで、理解出来ないものを理解する」という可能性を奪っている。」(魔法のコンパスp.207より)という言葉は大事にしていきたいですね。
ついつい親の経験や考えの枠で子どもを縛らないように気をつけたいものです。
文中でも紹介しましたが大人にも子どもにもオススメの絵本です。某スパイクさんのように猫が嫌いな方は駄目かも(笑)
ぬいぐるみもあるんだね。ビックリ(笑)
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