陵坂と考察と

教育関係会社員が教育を中心に考えたこと、思ったことを書きます。

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村上龍作品と教育の「多様性」

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小池百合子都知事が「この国には希望がない」という主旨の発言をされたと聞いて私は「希望の国のエクソダス」(村上龍・文集文庫)を思い出しました。 

希望の国のエクソダス (文春文庫)

希望の国のエクソダス (文春文庫)

 

 「希望の国のエクソダス」とは2000年7月頃に発刊された2002年を舞台とした近未来小説です。月刊誌での連載だったので執筆は1998、1999年頃でしょうか。「エクソダス」とは脱出という意味です。

内容としては…

2002年秋、80万人の中学生が学校を捨てた。80万人に及ぶ不登校の中学生がネットビジネスを開始し、日本の政界、経済界に衝撃を与える一大勢力に成長していく (文庫本背表紙より引用)

冒頭書いた私が思い出したセリフは、不登校の中学生が国会の予算委員会で場面で出てきます。

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」 (文庫本314頁より)

私は村上龍さんの小説・エッセイが大好きで、高校時代~大学生時代はずっと読んでいました。おそらく全著書の9割以上は読んでいるはずです。当時は長崎のハウステンボスで龍さんプロデュースのキューバ音楽のライブにも出かけたりしました。

村上龍さんの小説には読んだ人にしかわからないエネルギーがあります。私はそれが「怒り」のように感じる部分があって、それは作品によって「自分への怒り」「社会への怒り」だったりします。

「社会への怒り」と言っても「政治家の不祥事」とかそういう目に見えるものに怒っているのではなく、空気のように当たり前に自分を包み込んでいる膜のようなものに対しての「怒り」という表現の方が近いのかもしれません。

「怒り」の次に村上龍さんの小説において私が感じるのは「多様性」です。「希望の国のエクソダス」「半島を出よ」などの作品では社会に染まれない人間が、それがゆえに非常事態にサバイバル出来るように描かれます。

それは刑事ドラマでよくある「一人一人はポンコツだけど一つ優れた技能があって、お互いに短所を補ってチームとして活躍する」というようなものとは全く別物の切実なものとして描かれます。それはどちらかと言えば種を保存していくための「ゆらぎの許容」として生まれ落ちた人の足掻きのようなものです。 

なんかそれらしい言葉を繫げましたが正確に言語化出来ているとは思えません。なんとなくニュアンスが少しでも、わずかでも伝わると良いのですが。。。

 

また「教育」においても「多様性」は重要な視点です。

AIによって職が失われると言われている時代はこれまで人類が歩んでこなかった時代です。実際、自分の子どもの頃を想像しても一人一台スマホを持ち歩くなんて想像もつきませんでした。今、0歳児の子どもが二十歳になって歩く世の中もきっと私たちが想像することの出来ない状況になっているはずです。 

その時に大事になるのは「教育」面で言えば「思考の基礎体力」「好きという力」だと私は考えています。何をするにもまず「考える力」の土台が重要になりますし、どうなるかわからないからこそ「好きな分野を伸ばすこと」が大事になると思います。「そんなことに夢中になっても将来働けないよ」という言葉は子どもを大事に思えばこそ言いたくなりますが、出かかっても飲み込んでいきたいものです。

「半島を出よ」のクオリティは龍さんの作品の中でもトップクラスだと思うのでお勧めです。

半島を出よ〈上〉 (幻冬舎文庫)

半島を出よ〈上〉 (幻冬舎文庫)

 
半島を出よ〈下〉 (幻冬舎文庫)

半島を出よ〈下〉 (幻冬舎文庫)

 

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